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2014.11.13
[イベントレポート]
「MoMAでサイレント映画を見ながら、映画の基礎を吸収していました。」MoMA ニューヨーク近代美術館映画コレクション『有名になる方法教えます』-10/28(火):トークショー

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©2014 TIFF

10/28(火)、MoMA ニューヨーク近代美術館映画コレクション『有名になる方法教えます』の上映前に、ワールド・フォーカス『シーズ・ファニー・ザット・ウェイ』のピーター・ボグダノヴィッチ監督によるトークショーが行われました。
作品詳細
 
 
司会:今年、東京国際映画祭に『シーズ・ファニー・ザット・ウェイ』という新作を持ってピーター・ボグダノヴィッチ監督が来日されました。ピーター・ボグダノヴィッチ監督と言えば、監督としての業績のみならず、映画研究者、評論家としてもご活躍されております。そしてMoMAとの関係もとても深い監督ですので「是非、今回の特集に来ていただけませんか」と打診をしましたところ、快諾をいただきました。早速監督をお呼びしたいと思います。ピーター・ボグダノヴィッチ監督です。
 
ピーター・ボグダノヴィッチ監督(以下、監督):こんにちは。
 
司会:監督はMoMAとは長いお付き合いをされていると思います。いつ頃からでしょうか。
 
監督:MoMAとの関係は子供の頃から始まっておりまして、5、6歳の頃から父親に映画をみるため連れていってもらっていました。父親は母親に比べて年齢がだいぶ上で、サイレント映画の頃からずっと映画を見ていました。トーキー映画が出てきた頃には、父は30代でした。そういった意味で彼はたくさんサイレント映画を見ていたし、私のこともよくMoMAにサイレント映画を見に連れていってくれました。サイレント映画というのは映画作りの基礎となるので、その頃からMoMAでサイレント映画を見ながら、映画の基礎を吸収していました。1960年にMoMAとの正式な関わりが始まりました。どういうきっかけだったかというと、リチャード・グリフィス、当時MoMAのキュレーターをしていた方から電話をいただいて、オーソン・ウェルズ監督の“レトロスペクティブ”というモノグラムを書いていただきたいということでした。1960年に電話をいただいて、レトロスペクティブを開催したのは1961年でした。当時、私がリチャード・グリフィスに言ったのは「あなたがやるべきでしょう、ここのレトロスペクティブをやっているのは全部あなたなのだから。なぜ私がわざわざやらなければならないのか」。するとグリフィスは「私はオーソン・ウェルズが好きじゃない」と答えました。しかし、我々のヨーロッパの同僚はオーソン・ウェルズを評価しているからやるべきだ、となりました。どうせやるなら彼の作品を好んでいるものにやってもらうべきだということでした。彼は以前、私が書いたオーソン・ウェルズの『オセロ』の紹介文を読んだことがあって、その中で私は、この『オセロ』こそが当時のシェイクスピアの映画として最高傑作だと言っていました。当時、そういったことを言っている人が少なかったので、とても印象的だったそうです。それから私はその仕事を引き受けました。50ドルという安いギャラでしたけれども、作品をたくさん集めました。結局、オーソン・ウェルズとは当時はお会いしませんでしたが、7年も後に会うことになりました。「オーソン・ウェルズの映画」というモノグラムを書き、それが私の初めての本となりました。
結局レトロスペクティブは成功し、その翌年の1962年に私はたまたまハワード・ホークス監督のファンで、彼の作品を全て見たいと感じていた時に、丁度パラマウントでは『ハタリ!』の準備をしていました。そこでグリフィスさんに「ハワード・ホークスのレトロスペクティブのためのお金を全部パラマウントが出すと言ったら、MoMAでやっていただけますか」と言いました。そうしたら「是非」となりまして、それを持って今度はパラマウントに行き「MoMAでハワード・ホークスのレトロスペクティブをやったらお金を全部払ってもらえますか」と聞いたら「是非」ということになり、成立したので、250ドルのギャラをもらいました。
その翌年1963年に、ヒッチコックとユニバーサルが絡んで同じようなことをして、その時はユニバーサルで新作の『鳥』を準備していました。同じようにグリフィスさんとユニバーサルに相談して、ユニバーサルにスポンサーをしてもらって。信じがたいかもしれませんが、当時初めてのヒッチコックのレトロスペクティブをMoMAですることができました。それが、基本的に、私とMoMAとの関わりでした。その後1970年に、アラン・ドワンのレトロスペクティブもありました。
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©2014 TIFF

 
司会:監督は、もちろん映画監督でもありますけれども、映画俳優や映画監督たちのインタビュアーとしても有名ですよね。今日これから皆さんがご覧になる『有名になる方法教えます』のジョージ・キューカー監督にもお会いになっていらっしゃいますよね。ジョージ・キューカー監督についてお伺いできますか。
 
監督:ジョージ・キューカーさんとは何年も知り合いで、インタビューしたのは少し後でした。実際にお会いしたのが1964年です。私が初めてカリフォルニアに引っ越した頃で。彼の作品が大好きだったので、探し出して、連絡を取って、お会いすることになりました。非常に気さくで、親切で、尚且つユーモラスで、素晴らしい方でした。1968年に、非常に短いインタビュー、1時間から1時間半のものをさせていただいて、それをずっと後の97年か98年に出版した本に含めました。
キューカーさんはとてもエレガントな方で、本もたくさん読まれていて、洗練された方なのですが、それと同時にすごく口が汚い人でした。常に汚い言葉が口から出てきて、そのギャップが驚きでした。怒ったら止められませんでした。
彼の作品は素晴らしくて私も大好きです。今夜皆さんがご覧になる作品は、英語のタイトルが”It Should Happen to You”というもので、タイトルがちょっとひどいです。この脚本がガーソン・ケニンさんという方で、元の英語タイトルは”A Name For Her Self”というもので、日本語訳すると“名をあげる”となりますが、作品をご覧になるとその意味がよく分かると思います。いずれにしても、キューカーさんとケニンさんはたくさんの作品を一緒に手掛けております。ケニンさんは脚本・劇作家をされてる上に実際に監督もされていて、30年代40年代に活躍されていて、ケニンさんが結婚したルース・ゴードンさんも脚本を書くのですが、その2人がお会いしたのもキューカーさん宅のパーティでした。そこからその2人は仲良くなって、沢山のコラボレーションをしました。お2人で脚本を書いたものを、キューカーさんが監督する、という作品が『二重生活』(1947)、『パットとマイク』(1952)、『アダム氏とマダム』(1949)。その他にも、ケニンさんだけが脚本を書いたものをキューカーさんが演出しているものが『ボーン・イエスタデイ』(1950)や、今日皆さんがご覧になる作品です。そしてルース・ゴードン、奥さんが書かれた脚本だとスペンサー・トレイシーが主演のものがあったりと、3人は本当に良いチームでした。
特にジョージは役者の演技指導がとても上手で、その中でも女優の芝居指導がとても上手いと評判でしたが、本人はその噂が嫌いで「男性の演技指導についても巧みなはずだ」と言っていました。それは実際に事実で、彼の作品に出ていた役者で、アカデミー賞の主演男優賞を受賞したのは7人います。これはたぶん映画史上最多だと思います。ジェームズ・スチュアート、ロナルド・コールマン、レックス・ハリソンなど、多くの方々がキューカーの作品で男優賞を受賞しています。
最後に付け足すと、『有名になる方法教えます』の主演であるジュディ・ホリデイという女優ですが、彼女がスターになったのもジョージ・キューカーのおかげです。それは、ブロードウェイの舞台の方の『ボーン・イエスタデイ』で彼女が主演を飾って非常に成功していたのですが、映画化の権利をコロンビアが買い取って映画化するとなったときに「彼女ではなく他の映画スターがいい」とおっしゃっていたのですが、キューカーとキャサリン・ヘプバーンの2人でなんとかしようとなり『アダム氏とマダム』の制作の時に彼女においしい役を与えて、それでまず彼女をスターとしてから「これだったら『ボーン・イエスタデイ』でも彼女を主演にしない手はないだろう」というところまで持っていった、という経緯があります。

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