10/25(土)、ワールド・フォーカス『遺灰の顔』の上映前に、舞台挨拶が行われました。
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石坂PD:皆様ご来場誠にありがとうございます。東京国際映画祭ワールド・フォーカス部門『遺灰の顔』これから上映いたします。上映に先立ちまして、いくつか皆様にお伝えしたいことがありまして、前に出てまいりました。監督のシャフワーン・イドレスさん、映画祭としてお招きをする予定だったんですけども、在イラクの日本大使館、バグダッドにあるんですけども、日本にくるためのビザを受け付ける部門が閉鎖されておりまして、イラクの方が国内で日本ビザを取得することができない状況になっております。その場合、お隣のヨルダンのアンマンで取得するか、あるいはイランで取得するかということ、そういう手間になるんですけども、残念ながら監督は国外まで出てビザを取得することができないということでございまして、来日できないという残念な結果となっております。代わりに監督からメッセージをメールをいただいておりますので、私がここで代読をさせていただきたいと思います。
シャフワーン・イドレス監督(石坂PD代読):観客の皆様へ。私の映画をご覧になる皆様、私も是非皆様と一緒にこの瞬間を共有したかったのですが、皆様ご存知のように、世界を動かしている政治状況によって日々私たちは外の世界から疎外されております。世界ではどの国の何人も簡単にビザを取って旅をすることができます。しかしイラクに住む私たちは、他の国の人たちからテロリストとして扱われる、その在り方に苦しんでおります。国内ではテロの脅威に脅え、国外からは恐怖の目で見られます。私たちも人間です。私たちのことを少しだけで結構ですから、尊重してください。私が世界の人々に言いたいのはこのことだけです。どうか私の映画を見て楽しんでいただければ幸いです。素晴らしい観客の皆様が私の映画を見てくださることを光栄に思います。ご一緒できないことをお詫び申し上げます。シャフワーン・イドレス。
石坂:以上でございます。一つ、日本語タイトル『遺灰の顔』ということで、何人かの方からご質問をいただきました。イスラムの話ですがイスラムは土葬ではないか、と。火葬ではないから“遺灰”とはおかしいではないか、といただきました。これを監督に確認いたしました。私たちも当然気になっていた、“ash・灰”ですね。監督によると、これは戦争そのものの愚かさ、悲惨さを描いた台本で、宗教の如何に関わらず戦禍で死んでしまえば、皆、灰になってしまう。土葬だろうが火葬だろうがどんな習慣であろうが、人間として戦争の中で死んでしまえば灰になってしまうという意味で、一種皮肉を込めた“ash”という言葉を使ったということでございますので、日本語としても『遺灰の顔』というタイトルにさせていただきました。