Home > ニュース > 「やはり映画というのは非常に面白いですね」 ワールド・フォーカス『共犯』-10/25(土):Q&A
ニュース一覧へ 前のページへ戻る
2014.10.30
[イベントレポート]
「やはり映画というのは非常に面白いですね」 ワールド・フォーカス『共犯』-10/25(土):Q&A

共犯

©2014 TIFF

 
10/25(土)、ワールド・フォーカス『共犯』の上映後、チャン・ロンジー監督が登壇しQ&Aが行われました。
作品詳細
 
 
チャン・ロンジー監督(以下、監督):みなさん、こんばんは。こんなに遅い時間で皆さん終電も心配かと思いますけれども、わざわざこの『共犯』を観に来て下さって本当にありがとうございます。
 
Q:前回『光にふれる』の時は丁度ご都合が悪くて東京国際映画祭にお越しいただけなかったので、今回初めてという事になりますよね。
 
監督:今回、東京国際映画祭に来ることができて本当に嬉しいです。『光にふれる』もそうですし、『共犯』もこの2本を映画祭で上映していただくということで。そして、今回東京に来ることが出来まして、皆さんとこうやってお会いできて、そしてまた東京国際映画祭の皆さんの真面目な仕事ぶりに、本当にとても感謝しております。皆さん、ありがとうございます。
 
Q:映画の最後の歌は日本のグループですか?
 
監督:はい、そうですね。エンディングの曲は、出資してもらった会社のひとつでもある会社が、世界中の有名な音楽のアーティストを紹介する会社なのですけれども、そこの紹介で、こういう風に曲をつける事が出来ました。私自身もとても好きなバンドの曲でしたし、会社の方もすごくこれを推薦してくれました。日本のバンドの皆さんが、本当は元々日本語で歌があるのですけれども、それを中国語の歌詞を歌ってくださって、この映画のエンディングにしてくれたわけです。
 
Q:flumpoolですね。学校が出てきますけれども、あれは実際の学校を使ってロケーションを?季節は夏ですか?その辺を教えて下さい。
 
監督:そうですね、やはり、脚本段階では非常にロケの場所について頭を悩ませました。学校があって、その学校に裏山があって、そしてきれいな湖があるところということで、非常に困ったわけです。結局ロケをした場所というのは学校の校舎も別の所、そして図書館も別、裏山の湖も別の所でそれぞれ撮って、最終的に編集でくっつけました。
学校のシーンを撮る時は、これは学校を借りてやったんですけれども、丁度台湾にも夏休み、冬休みとありますけれども、夏休みの時を狙って生徒がいない時に撮りました。そして、こちらで用意したエキストラの生徒達を、生活感を出す為に200人~300人ほど投入しまして、撮影を進めたわけです。
 
Q:原作と脚本の方がクレジットされていますけれども、この原作の小説みたいなものはあったのでしょうか。その作品と監督が出会われたきっかけみたいなものがあったら教えていただきたいです。
 
監督:まず脚本の事ですけれども、これは脚本の前に実はその小説のもとになったものがありました。でも小説にはなっていなかった。その段階で私は見たのです。私が見たのは脚本として書かれた原作であったわけです。小説自体は映画の後に、小説という形で、全部撮り終わった後に出ました。撮影をしている時は原作者と私とで議論しながら、ディスカッションを重ねていった訳ですので、色々変わったこと、修正も入って、もとの脚本から少し変わった形で小説として後に出版されたわけです。やはりもとの小説の原案と大きく違ったのは物語の後半部分です。後半部分で私が大きく変えたのは、人物の一人一人に対して、出口が見つけられるような、突破口があるような形にしました。そして、そこに何かしらの温かみを持たせたいということを願って、そのように書き換えたわけです。そして数多くこの映画の中に盛り込んだのは、現代の若者たちがとっているコミュニケーションの手段です。特にインターネットを使った手段をこの中に盛り込みました。そしてこの“共犯”と言う言葉の意味をさらに拡大していったわけです。最初はこの3人の学生が一緒に企んで、悪いことをしたという、その“共犯”という意味だったわけですけれども、それよりも彼らをそういう方向に追い込んでいった周りの人たち、その人たちも“共犯”であるといった意味に拡大していったわけです。
 
Q:ポスターがとても印象的だったのですが、あのシーンを選んだ理由を教えて下さい。
 
監督:飛び降りて自殺してしまう女の子、その子の自殺というのが、3人の男の子が出会う発端だったということ。そして、そこからこのストーリーが始まるということなので、そこに意味を持たせてポスターにしたわけです。
 
Q:ポスターもそうですけれども、かなり「色」というものにこだわりを持っているように感じました。
監督から見て今の台湾の映画産業というものに関して、どのような環境にあると思われているのかお聞きしたいです。

 
監督:映画の色へのこだわりとしては、まず、大きく2つに分けられます。学校の校内で撮っているシーンについては、色使いをごく控えめに抑えたわけです。学校の外でのシーンでは様々な色を盛り込みました。外の世界が豪華絢爛な色使いにして、様々なことが起こっているというその煩雑さを表す為にそうしました。もう一つのこだわりはグリーンです。この緑色の使い方なんですけれども、ほとんどが湖の所に緑の色が集中しています。それはここの湖に秘密が秘められているという意味合いを持たせてあります。この裏山の向こうにある湖に緑の色をかなり濃く使うことによって、神秘的な意味合いを持たせている。そして、神秘的な、ちょっとサスペンスタッチの雰囲気を出す為に様々な場所で緑色を使っている。それは、木がでてきたりする所が、この山のシーンの他にもある訳です。そこに、あの緑を使った事によってサスペンスの意味合いを持たせました。
次に台湾の映画産業の現状については、台湾の映画産業が大きく変わる転換点になったのが2007年です。ここから変わってきたと思います。大きな理由は『海角七号』の出現でした。この『海角七号』の成功によって様々なところから今までその映画産業にタッチしていなかった人たちも映画を作るようになってきたということが、非常に大きな転換点であったと言えます。
深く印象に残っているのは、丁度その年に私の短編も映画祭で上映されて、その時にいろんな会社が、もちろん日本の映画会社も含めて、台湾にやってきました。台湾の映画市場についてそれぞれ興味を持って色々とディスカッションされていたことを覚えています。
最近そういうわけで、様々なジャンルも異なるスタイルも異なる、色んな映画が出てきたわけです。しかし、まだその映画産業のきちんとした確立とまではいっていないと思います。台湾はやはり小さな島国でありますから、その中でいろいろと産業化がきちんと進んでいくのはなかなか難しいことです。しかし、映画界の大先輩たち、そして監督たちも一生懸命に映画産業の健全化に向けて色んな努力、試みをしようとしています。そして、台湾の映画産業、映画のマーケットを大きくしていくという試みをしていると思います。ですから私は比較的に楽観的にとらえて、これから発展していくのではないかと考えております。
 
Q:オープニングのシーンが途中につながるということで、そこを最初に持ってきた理由と、オープニングのシーンで、教科書に混じって折り紙の鶴も沈んでいたと思うのですが、その意図があれば教えてください。
 
監督:そうですね、タイトルバックのところから始まって、そこの映画の始まりのところっていうのは、まだこの映画がどういう内容なのか分からないにしてもなにかしらのこの映画に対するヒントをそこの部分に盛り込むということがあります。そういう意味でその折り紙も出したわけです。そして、水ということのイメージをここでまず描いています。水に意図されているのは、様々な問題がそこに蔓延しているということ、溢れているということ、そういう意味合いがこの水に込められています。ですので、最初の出だしのところ、そしてまた、ラストのところも、やはり水ということをどういう風にデザインして配置していくかということに気を配っています。
 
Q:キャスティングの決め手は?
 
監督:この3人の男子の中でホアン役の彼だけが役者として演技経験があるわけで、あとの2人がまったくの素人だったわけです。
そして、他の出演者の高校生役も、ほとんど全部素人です。そしてこのキャスティングについては、色んな学校を何ヶ所も回って決めていきました。
キャスティングをするときに私がこの映画の中で思い描いている人物により近い高校生を、自分のありのままで演じれるような人たちを選びました。
家庭環境や過去にどういう辛いことがあったかとか、友達づきあいや勉強の面も、ものすごく具体的に聞いて、よりその人物に求めている近いような人たちを選びました。
このキャスティングをするというプロセスの中で、私はこの脚本を大きく膨らませて、内容を豊かにしていくことが出来ました。インタビューしていく中で、彼らの一人ひとりが持っている生活の問題、家庭的な環境・・・例えば、シングルの家庭で育ったとか、色々個人的な問題を持っている・・・そういうことがですね、脚本に色付けを加えていったわけです。
そのおかげで撮影が始まってからもとても楽なことがありました。背景とか家庭環境をよく理解していたので、どういう風にこれまであった喜怒哀楽や過去のことをわかっているので、どう演じたらいいか分からなくなったときに、家庭環境をヒントにして演じてもらいました。
 
Q:先が読めない展開を楽しめました。意外な展開をする登場人物たちの役割の意図を教えてください。
 
監督:3人の学生ですが、物語の中で典型的な学生を選んでいたわけです。よく出来るいい学生、そして、悪さばかりする学生、友達が必要としている孤独な学生、こういう学生のほかにですね、わりとシンボリックに描いてるのがカウンセリングの先生とほかの大人であるわけです。
なぜそういう風に先生を描いたかといいますと、“共犯”という感覚をそこの人物像に持たせたかったからなのです。学生時代に私が関わった先生は普通の公務員としてしか映らなかった。特に教育を、一生懸命生徒を指導しようという情熱が彼らには感じられなかった。毎日、事務的に物事を済まして、生徒に向き合っているそういう公務員の姿しかないという印象・・・そういう印象が強かったので、先生をあのように描いています。
もう一人、生活指導の先生は、産婦人科に行ったときの医師、毎日同じようなことを言わなきゃいけない、同じような言葉をひたすら繰り返しているという産婦人科の印象から生活指導の先生をあのように描きました。
特に、2人に対する強い因果関係を書いているときには感じなかったのですが、やはり映画というのは非常に面白いですね。一本の映画を観終わったあと、それぞれの皆さんが描く思いが違うということが良くわかりました。映画に対する解釈が一人一人違ってくるということが映画の面白さなわけですよね。おそらく脚本家も、監督の私自身も思わなかったことが観客の皆さんに発見されたりすることがあるということです。

木下グループ 日本コカ・コーラ株式会社 キヤノン株式会社 株式会社WOWOW フィールズ株式会社 アウディジャパン株式会社 大和証券グループ ソニー株式会社 株式会社TASAKI ソニーPCL株式会社 株式会社ぐるなび カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社 松竹株式会社 東宝株式会社 東映株式会社 株式会社KADOKAWA 日活株式会社 森ビル株式会社 TOHOシネマズ株式会社 一般社団法人映画演劇文化協会 読売新聞 J-WAVE 株式会社ドワンゴ スカパーJSAT株式会社 THE WALL STREET JOURNAL テレビ朝日 LINE株式会社 BS日本映画専門チャンネル セイコーホールディングス株式会社 株式会社エアウィーヴ MHD モエ ヘネシー ディアジオ株式会社 CineGrid ゲッティ イメージズ ジャパン株式会社 株式会社クララオンライン
KEIRIN.JP本映画祭は、競輪の補助を受けて開催します。TIFF History
第26回 東京国際映画祭(2013年度)