10/27(月)、アジアの未来『北北東』の上映後、チャン・ビンジエン監督のQ&Aが行われました。
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Q:チャン監督は監督としては新人と言って良いと思いますけれども、映画の世界のキャリアは長く、美術監督をずっとやられてます。名門の北京電影学院のご出身だそうですけれども。
監督:はい、そうなんです。私は実は1978年に北京電影学院に入学した組で、クラスの中や同級生には、みなさん恐らくよくご存知だと思いますが、チャン・イーモウ、チェン・カイコーらがおりました。文化大革命が終わって、初めて大学入試が始まって、私たちは第一期の学生だったわけです。文化大革命終了直後だったので、年齢がまちまちでした。若い人もいれば、他のところで色々なことをやってきて年齢を重ねた人もいたので、私たちのクラスは年齢が本当にまちまちでした。ちょうど1978年の学生でしたね。この物語自体が1978年に設定されています。
Q:監督の青年時代と全く重なることになりますね。監督学科ではなくて、美術科だった?
監督:映画の美術方面をやっていました。
Q:ご存知のように第五世代です。やはり第五世代はそうそうたる顔ぶれでいらっしゃいます。監督をやってみたかったというのはずっと思ってらっしゃったのですか?
監督:はい、そうです。自己表現ということからいくと映画監督であると思うんですね。映画というのはチームで作っていくわけですけれども、やはり何を表現するというところは、監督の言いたいところを表現するわけです。なので、自己表現の一つの方法として映画というものがどうしても撮ってみたいものでした。ですが、卒業したときは映画監督になるのはなかなか難しかったのです。私は美術家でもありますけれども、絵をなぜ描くかといいますと、それは自己表現のためと考えています。
Q:監督のお話を聞くと78年というのは監督の若い頃の思い出などがある時代だと思いますので、この舞台にしたということや、田舎の風景などに、そういったことが反映されているのでしょうか。
監督:時代背景と自分の青春時代がかぶったところがありますかということですが、たしかにこの物語に出てくる若い警察官のイメージの中に、私たちの世代のことが反映されています。文化大革命が終わったばかりで、本当に全ての人たちにとって白紙の状態だったわけです。何をしていいか分からない白紙の中に私も置かれていた。その時代、本当に私は何も知らなかった。モナリザというものがこの世にあることも私は全然知らなかったわけです。
若い警察もどのように事件を調べたらいいかということもさっぱり分からないわけです。だから彼はただひたすら足跡だけをとる、その足跡だけを手がかりにして事件を解決しようとするわけです。そういうことを、今の我々から見ると非常にお笑いであるかもしれない。ですが、これが当時の現状だった。当時18歳だった私はモナリザも知らなかったので、この若い警察と同じような状況でした。そして1970年代末から80年代初頭の風景は、そういう時代を背景にした作品を撮るときは、非常に中国大陸では今(撮影場所を)見つけるのが難しい状況になっています。いまやどこもビールと車でいっぱいなわけですね。そういう田舎で私たちはロケ、わりとその時代に近いところを見つけることができました。
Q:すごく面白いと思うのは、警察内の隊長の描き方が英雄的じゃないですよね。アンチヒーローといいますか。中国映画には立派な警察官の映画がたくさんありますけれども、その辺が非常にユニークだと思いました。
監督:ありがとうございます。中国映画の専門家らしい見方をしていただいてありがとうございます。確かに中国では、警察を描いた作品はかなり少ないです。それはなぜかというと、審査が非常に厳しい。映画についての審査というのは電影局の審査だけではなく、警察を描くのであれば公安部門の審査というのが必要になってきます。公安部門の審査を突破するには正しい姿の警察官を描いていないといけないわけです。そうでないと通らない。しかし、そういうふうな形で描かれた警察官は非常に嘘っぽい、実は存在しないような警察官だったので、私たちは色々、この映画を撮るために取材をしましたけれども、そういうのは警察官にとっても嘘っぽいと感じていることでした。私たちは本当に普通の警察官の姿を描いたわけです。
Q:橋のシーンがすごく印象的ですが、作り物なのか、実際にあるのか。それと、季節がずっと変わっていきますが、どれくらい撮影に時間がかかったのか教えてください。
監督:あの大きい橋は、本当にある橋です。われわれの美術部門のスタッフは非常に優秀で、ああいう橋を見つけてきたわけです。この映画の中で季節はいろいろありますけれども、雪の部分だけ、雪だけは特殊効果で、本物の雪ではないのです。実はコストの関係がありまして、雪が降るのを待っていられなかったのです。この映画は、陽光のもとでの犯罪、というスタンスで撮っているわけです。一般的に犯罪ものといいますと、非常に暗い闇の中でコソコソと行われる、そして非常に暗い画面の作品のイメージが多いですけれども、我々は明るい光の下での犯罪というものを、撮ることにしました。撮影期間は38日間です。
Q:役者さん二人が大変素晴らしいですけれども、舞台俳優でいらっしゃいますか。
監督:ありがとうございます。リー隊長とツァイコーチ、二人とも北京人民芸術劇院、舞台のほうの役者さんでして、映画にもいろいろと出演されております。そして、ツァイコーチ役の老婦人は今年85歳になる方ですけれども、とてもお元気でご活躍していて、とても尊敬に値する方です。昨日、石坂さんとジョークで言いましたけれども、実はこの85歳のツァイコーチ役の方に、東京国際映画祭に私と一緒に来てほしかったんですけれども、「コンペじゃないので、来ないわ」と言われてしまったということなんです。この方は現在の中国の芸能界で活躍されている方の中で一番年齢の高い方なんですけれども、すごくお元気です。
そして、リー隊長役の方も素晴らしい役者です。お二人への評価をどうもありがとうございます。
Q:最後のほうに、NIKEの靴のエピソードなんかも出てきたりして、『殺人の追憶』をちょっと思い出したのですが、『殺人の追憶』をご覧になってて参考にしたことがあったのかということと、自分が子供の頃に見たニュース映像と違って、人民服がすごくカラフルだったと思うのですが、やはりそこは監督なりのこだわりだったのでしょうか。
監督:『殺人の追憶』は観てます。非常に私も好きな作品なのですけれども、その作品の中で描かれているような警察の姿というのは、中国では審査の関係でなかなかそういうところまで描くことができません。
次に、衣装のことですね。いわゆる人民服というのは、わりと幹部が着る服なのです、青色の人民服は。この中では、ツァイコーチのような方が着ることができるわけです。文革の時代といいますと、様々な文革用語とか文革グッズとか、いろいろなものが、他の文革を描いた映画の中には出てくると思います。そういう文革らしいものというものは、かなり私は意図的に削っています。それはなぜかといいますと、そういうところからあまり政治的な色彩を皆さんにイメージとして持っていただきたくなかったわけです。集中して、この物語の中に入っていただきたいと思ったわけです。
Q:私はインドで映画の仕事に携わっております。インドにも映画に関して検閲局があって、そちらで大変厳しい検査に通らなければなりません。そして、その局が、例えば映画のこの部分をカットしろとか、他の意見を押し付けてくるとか、好き勝手なことをします。ときにはそれが裁判沙汰になってしまって、大変な混乱を招く場合もあります。中国における検閲を通るためのいろいろなプロセスその他について、お教えいただけますか。
監督:中国では、他の国のようにPG12とか、子供に見せてはいけないとか、そういうグレードは映画に付けられません。なので、すべての映画がその検閲局の審査に通らなければなりません。例えば性的犯罪、この映画はまさにそれを扱っておりますけれども、その犯罪の過程を事細かに描くということは禁止されます。
それから、警察を描く上でも非常に厳しい審査があります。警察のイメージは先ほどお話ししました通り、肯定的なものでなければならないとされるわけです。ですから、まずは当局が脚本を読みます。その検査に通って、撮影が終わった後、もしもその作品が脚本から少し違うものになっていたら、また文句を言われます。つまり、公安局の委員会の人がちゃんと映画を観に来るわけです。それで、問題になることがあります。こういう厳しさがあるために、中国映画の中で警察が描かれることが少ないのです。