10/28(火)、日本映画スプラッシュ『愛の小さな歴史』の上映後、中川龍太郎監督、女優の中村映里子さん、俳優の池松壮亮さんのQ&Aが行われました。
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中村映里子さん(以下、中村さん):疲れました。色々思い出しながら観ておりました。
池松壮亮さん(以下、池松さん):突っ込みどころはあったと思うのですけれども、やろうとしていることが面白くて、興味深く見ました。これ、結構切っているのですよね?
中川龍太郎監督(以下、監督):40分くらい。後半が全部切られているので。
池松さん:ここからの話ですよね?
監督:ですね。それもまた、公開しようとは思っているのですが。
司会:矢田部PD:中川監督にこの作品が誕生したいきさつと、池松さんと中村さんがプロジェクトに入ってきた経緯をお話しいただけますでしょうか?
監督:池松君と撮りたい別の作品があって、それを撮ろうと相談していました。その企画自体は成立しなかったのですけれども、その際に中村映里子さんをご紹介いただきました。素晴らしい女優さんだということでしたが、僕は恥ずかしながら中村さんの演技を見たことがなかったので、そのままTSUTAYAに行って、出演映画を拝見して。それを見たら、改めて素晴らしいなと、そう思いました。そんな時たまたま思いついた物語が、このラストシーンから思いついたのですが、これを中村さんで撮れたらなぁと思って。池松君に相談して紹介してもらいましたが、あまりそういう経験がなかったので、最初紹介してもらった時すごく緊張していて、僕が緊張するだろうと、池松君がついて来てくれていました。
池松さん:保護者のように(笑)。
監督:そうそう。いや、ホントに。それでかえって僕が緊張するというか。会って早々、「中川君、酒飲んできたでしょう」と言われたのを覚えています。そこから、素晴らしい役者さん、今までやってきた方もいらっしゃいましたし、今回の作品で初めて出会った方もいましたし、だんだん広がっていって、こういった形でやるようになった。
司会:矢田部PD:元々この二人の、二組のカップルといいますか、二組の話が並行して進んでいく愛の物語という事は、構想としては持っていらっしゃったということですか?
監督:池松君と話していた企画の段階では、全然違う話を考えていたので、(そうした構想は)全くなかったのですが。その後、映里子さんを紹介いただいた時点では、そこまでアイディア持ってなくて、映里子さんの事を知ってから、多分それから1週間以内だと思いますけれど、2~3日くらいしたら、サッとこう思いついてですね。一気にラストの音楽が流れるところだけ思いついて、脚本を書いたという形ですかね。
司会:矢田部PD:先ほど池松さんが「もっと長かったんですよね」とおっしゃいましたけど、120分版と80分版があると。
監督:そうなんです。元々120分でこの二人が、沖渡くんが演じる夏生という男性と映里子さん演じる夏希という女性が出会ってから仲良くなっていって、子供が出来そうだぞというところぐらいで、こういう内容のことは言わない方がいいのかもしれませんが、いつ完全版を公開できるかわからないので。実際作ってみて、僕は完全版の方が夏生役の沖渡君と映里子さんが素晴らしい演技をいろいろところで見せてくれているので。突っ込みどころがあると池松君も言っていましたが、回収されていない伏線みたいなもの、あの台詞は何だったのだろうということをラストに向けて張っていたり。「これ、音楽の盛り上がるところで終わりにした方がいいよ」と、あまりにあちこちから言われて。実家に久々に帰ってそれを見ていたら、父にも「お前、これ切らないとだめだ」と。「何様なんだ、何の権限があって言ってるんだ」と、すごく腹立たしかったのですが(笑)。おかげさまで。
Q:タイトルが夏の八月をテーマにされていたと思うのですが、個人的には夏というのはこの映画にとても合っていると思っています。どうして八月にしたかということなのですが。
監督:八月にした理由。季節がはっきりした映画を撮りたいというのが自分の中にあって、日本は四季がはっきりしている国で、海外の経験はないのでわからないのですが、四季があること自体が美しいことで素晴らしいことだと思っていて、それをこれ見よがしでなく、映画の中で見せられたらいいなとずっと昔から思っていて。生意気ですけれど。暑い季節の物語と、最初からイメージがそうだったので、結構撮影が押していて、実は10月に撮っているシーンもあり、暑いふりをするのが大変だったなと思いながら見ていたのですが。暑苦しい映画を作ってみたいなというのもありました。特に、深い考えもなく、夏にしてしまったのかもしれませんが。でも、この話を冬にしたら、もっと切ないものになったり、この話の一番の肝は、暗くてロクでもないことばかり起きるのだけれど、お互い罵り合っているのに、そこに前向きさが出ているなと思っているので、冬にそれをやってしまうと、悲しいシーンがそのまま悲しくなってしまったり、泣き叫ぶという意味合いが変わってしまうのかなというのが自分の中であって、このようにしました。あとスケジュールの問題があるのかな(笑)。
司会:矢田部PD:罵り合うというシーンが多いとおっしゃって、もちろん映画を見ればわかるのですが、そうした罵り合う現場の雰囲気を盛り上げるため、演出上、役者さんたちにはどのように接しておられたのですか。現場での監督の演出はどうだったのかお聞かせいただけますか。
監督:僕はまだそのレベルでなくて。やはりご迷惑ばかり、お二人に限らず全員に役者さんにかけてしまったと。スタッフもそうですけれど。なかなか経験が足りないし、自分の問題もあって、ちゃんとそこまでコントロールできたかというかいうと、ちゃんと撮り終えることであったり、しっかりと考えていたことが映っていることに精一杯になってしまって。というところが正直あったのですが。撮り方では、そこは意識したのですが、その後のリズムが生まれるように。役者さんたちに対してどうだったかな。僕じゃなくて映里子さんに聞いてください。
司会:矢田部PD:監督はひたすらご謙遜なさるんのですが、実際、現場ではいかがでしたか。中川監督は。
中村さん:すごく悩みながらも、いろいろ演出してくださいましたよね。「ここはこういうシーンにしたいんだ」とずっとしゃべり倒されて、求められることができるように。でも、監督の言葉だけだと伝わりづらいところがあるけれど、なんか、変なものが出てるから(笑)、それで伝わってくるのを感じて、監督を見ながらやっていました。出てるから(笑)。
司会:矢田部PD:中村さんも中村さんなりに、自分なりに役を作って演じて、それを監督が「それでいいね」ということもあるわけですよね。そうでもないですか。
監督:基本はもう、変なものが出てたかもしれないけれど、だいたい映里子さんがやってくださって。それに対してちょっとだけイメージが違う部分だったり、そこを的確に言えればいいのですけど、そういう言葉をまだまだ持っていないので、自分のしゃべり方だとか態度で伝えるしかないというか。そういった形だったんじゃないかなと。でも、自分が思っていたことよりもはるかに素晴らしいものをずっと出し続けてくれましたので。本当にそこは考えてくれて。素晴らしかったです。僕が言うのもなんですが。
司会:矢田部PD::池松さんの役はとても重要で、ちょっと天使のような役だなと思って見ていたのですが、監督とは池松さんの役どころについてどのようにお話されたのでしょうか。
監督:池松君と話し合ったかな。ただ池松君に、「とって付けたような役だったら俺はやらないからな」と言われて、そう言われるとこっちも少しでもいい役にしたいなと思って。正直、池松君の存在があったからこそ、ああいう役回りがありえたというのが正直なところで、結構現場ではこちらの不手際でうまく撮れないこともあって迷惑をかけてしまったのですが、でもこの男がやってくれて良かったなと。スクリーンを見てあらためて思いました。
司会:矢田部PD:池松さん、「中途半端な役じゃやらないぞ」っておっしゃって、実際にこの役を見たときはいかがでしたか。
池松さん:そんな偉そうに、言ったつもりはないんですけれど(笑)。それこそ映里ちゃんにどうしても会わせてみたくて、この2人をまず。お互い知らないわけですから、じゃあどうやって責任取ろうかなと思って、「じゃあ、俺も出るから」って言って(笑)、接点のようになって。
監督:男らしいですよね。僕は池松君の顔をつぶさないためにも。映里子さんともちゃんとコミュニケーションをとって良い作品にしなくちゃならないと。そのプレッシャーでヒィヒィしていました。
Q:監督に質問なのですが、光石研さんが出ることになって経緯と、池松さんには光石さんと共演した印象をお聞きしたいです。
監督:もともとピアノを弾いている男がいましたね。ちょっと「きもイケメン」というような。あの男をオファーしたくて声をかけたところ、同じ事務所だったということで、光石さんも若い人間の作品をやってみたいという時期だったのでしょうかね。出ていただきました。もともと想定していなかったのですが、最初に書いているときに、オファーすると思わずに当て書きを光石さんでしていたので、「ああ、こういうこともあるものなんだ」と思った次第です。
司会:矢田部PD:池松さん、光石さんとの共演はいかがでしたか。
池松さん:楽しかったですね。光石さんとは、よく他の作品でもやってきたのですが、まさか出るとは思っていなかったので。「なんで、来たんですか」って(笑)。「いや、面白そうだったから」って。良い人だなと思いました。
Q:とても良い映画でした。ありがとうございました。池松さんの出るシーンは少なかったのですが、「憎むよりも許したほうが気が楽だよ」という台詞があったのですが、実際映画を拝見していて、憎んでいたほうが楽だったんじゃないかと、許したことで辛い思いをして。でも、憎んだままだったら前に進めなかったのが、許したことで辛い思いをしたけれど前に進めたというふうに感じたのですが、いかがでしょうか。
監督:何を言うことはありません。ありがたい限りです。きっとそういうことだったのだと思います。僕がこれから言うと、より良くないことを言ってしまいそうなんで、でもたぶんそういうことですね。僕も人間として未熟で、いろいろとご迷惑をまわりにおかけすることばかりで、その時に実感として思うことで、あまり憎んでいることよりも、許すことで気が楽になるんじゃないか。「楽になるぞ」でしたっけ。楽になることが、それが正解というわけではないと思うのです。確かに憎み続けたほうが、よっぽど楽だったでしょうし、それでは問題の本質が解決しないということですかね。もう、おっしゃるとおりなので、僕が言うと墓穴を掘りそうなので(笑)。
Q:池松さん自身はこの台詞に何か感じたことはありますでしょうか。
池松さん:いや、おっしゃる通りだと。それとこちら側の、僕と光石さん側はそう思っていていいかもしれないけれど、そこからの話なので、おっしゃる通りだと思います。
Q:「DVD借りてきたぞ」っていうシーンで多分そのギャップを表現したんだと思うんですけど、なぜ「アルプスの少女ハイジ」だったのかというのがすごく些細な疑問で、ぜひ何か意図があるのであれば教えていただきたいです。
監督:「アルプスの少女ハイジ」。俺のお袋が、自分の母が大好きで、それで僕も小さいころから見ててですね、すごい個人的に好きだったっていうのもあるんですけど、あれはすごく悩みました。記号的に昔こういう可愛いのが好きでしたっていうのはすごくつまらないですね。だから、どこのラインで着地させたらいいかなって思ったときに「アルプスの少女ハイジ」くらいだったらと思ったんですけど、世代的に23、4歳の人がハイジを見ているのかっていう突っ込みどころポイントその1みたいな所があるかなと。
Q:2組のカップルは20年以上前の設定ですね。ですから最初に出てきたのは中村さんと池松さんが出会ったときに、若葉のタバコの殻を捨てるところが出て、若葉がそうだったと思うんですけども、その点がどういう形で色んな20年前って表すのには色んなものがあると思うんですが、タバコを設定した理由ともう一つは、池松さんが子供が二人いる設定にしていますよね。ある程度安定をしているからそういう形で、忠告できるっていう形で二人の設定にしたのかその辺の脚本の意図についてお聞かせ願えればと思います。
監督:これ緊張しますね。どうやって答えればいいか。質問ありがとうございます。あの物語としてはそのメインで描かれているところは現代なんですね。子どもの世代の話はむしろ20年後だから2030年とかの話。ですので若葉は今でもあの通り。選んだ理由としては、一番普遍的なタバコとでもいうのでしょうか。父もそうですし、祖父もそうだった一番続いているイメージがありました。池松君に子供がいたら面白いなっていうのがまずあったんです。子供いない感じじゃないですか。これは池松君のファンでもあるので、池松君が子供いたら良いなっていう。こんな理由で大丈夫でしょうか。すみません。考えが弱くて。
Q:全体を通して「死」というものが全ての登場人物に通じているものがあるなというふうに感じたんですけれども、この作品を撮るにあたって監督にとって「死」というものがどういった位置づけだったのかをお聞きしたいなと思いました。
監督:最後にとてつもなく重い質問がきましたね。まだそんな偉そうなことを言える立場ではないですし、僕の年齢で考える「死ぬ」ということは多分もうちょっと上の世代の方が考えられるものとは全然違って、もっと抽象的だと思います。今現在、撮影中の新作もそれが「死」が題材になっていますし、この前に今年の頭に公開させていただいた『Plastic Love Story』という作品も「死ぬこと」がテーマになっていて、特に意識しているわけではないんですけれども、それはすごく自分の中でぐるぐる回っているテーマとでもいうのでしょうか。去年のこの作品のクランクインの直前に自分の親友が亡くなったことがあったんですけど、そういう時に、親友が亡くなった時にそこからどう立ち直るのか、おそらく立ち直れないんですね。立ち直れないんですけど、それとどう向き合うかってことが一番、物語になるのかなと。安易に人を殺すような映画を作ってもしょうがないですけど。この映画、死ぬことに対してもっと必然性を与えるべきだったという所はすごく反省していますし、今後の課題としてもこれから自分がもしこの先、撮り続けることが出来るのであれば、一生ずっとテーマになっていくんだと思いますね。その理由というのはどういうことなんですかね。死ぬのも怖いですね。周りで死んだ人もいますから。そういった所の印象は強かったっていうのはあるかもしれないし、明るい映画を作りたいんですね。これからは明るくてもっと、あの『魔女の宅急便』みたいな希望を与えられるような映画を作っていきたいですね。それにはやっぱり死んだりとか、悲しいっていうことが前提にある映画は作りたいなっていう。今はその前提を作っている時期なのかな自分は、というふうに思っています。