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2014.11.12
[イベントレポート]
「これはカザフスタンという国で実際に起こったことです」コンペティション『草原の実験』-10/29(水):Q&A

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©2014 TIFF

10/29(水)、コンペティション『草原の実験』の上映後、アレクサンドル・コット監督のQ&Aが行われました。
作品詳細
 
 
 
 
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このQ&Aは、ほとんどの部分が作品のラストシーンについて言及されております。
11/22(土)午前11:45からの、1回限りのWOWOWシネマでの放送(詳細)を楽しみにされている方、
今後の日本公開(現時点では未定)を待たれている方は、くれぐれもご注意ください。
※2015年9月より全国順次公開決定!
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アレクサンドル・コット監督(以下、監督):皆さんこんにちは。私たち、今回、東京そして日本には初めて来ました。この度は東京国際映画祭にご招待いただきまして、ありがとうございます。実は今朝来日したばかりで、まだ寝ているのか起きているのか少しわからない状態です。夢のような心地です。もし夢だったら、この素晴らしい夢が覚めないでいてくださいと願うばかりです。
 
Q:まずお伺いしたいのですけども、背景にある水爆実験というのは、実際にあった事件というか、出来事だという風に聞いております。ネタバレになるので、あらゆる資料に載せていないのですけども、実際にあったことを映画化しようと思ったきっかけを教えてください。
 
監督:これはカザフスタンという国で実際に起こった事件です。カザフスタンは当時はソ連の一員でしたけれども、核兵器の実験場がたくさんありました。そして今は、バイコヌールという宇宙基地があります。これは最近の話なのですが、私の知人にカザフスタンに住んでいる彼の祖母から電話がかかってきたんです。彼女はバイコヌール基地の近くに住んでいるのですけども、自分の畑に宇宙船の部品が落ちてきた、という話でした。その話を聞きまして、ある日突然自宅の庭に金属の塊が落ちてきたら、人は一体どんなことを思うのか、というのを想像してみたのです。カザフスタンでは、1949年に初めて核兵器の実験が行われました。そのときには、周辺に住んでいるひとたちには一切実験については知らされませんでした。1953年からもっと大規模に実験が行われるようになるまでは、地元の草原に住んでいたひとたちが移住させられるということは一切なかったのです。ですので、当時の人々が実験を見て、何を感じたのか、どう思ったのか、どう行動したのか、そういったことを考えながらこの映画を作りました。
 
Q:まったく予備知識なしに見たので衝撃を受けました。特に、台詞がまったくなくて、その代わりに音響とか、細かい環境音など、とても綺麗でしたし、映像も地平線が見えるくらいまで、奥の奥まで見えてとても綺麗で、全部すごいなと思って、目が覚めるような体験でした。とても感動しました。ありがとうと言いたいです。質問ですが、実際に生の音を映画に使われていたのでしょうか?とてもきめ細やかな音響設定だったので。
 
監督:感想もいただきありがとうございます。最初に自然の風景の広がり、その中で人々の日常の愛情などの営みや感情が描かれ、最後にあのようなシーンが描かれたために、皆さん本当にショックを受けられたと思います。それはまさに、私の狙っていたことで、同じようなショックを、私の映画の主人公たちも感じたと思います。
そして爆発の映像と効果音に関しての回答です。私はこの映画を作るときに、様々な記録フィルムを見て調べました。実はアメリカ人は核実験を行うときに映像記録をよく残しています。そういった映像を見ますと、こう言ってはいけないのですけども、非常に美しい映像なのです。そういった映像では死が美しく描かれていまして、私は実際にそれを自分の目で見ました。ですから私たちが映画を撮るときに意識したのは、こういったアメリカの記録映像のように美しくならないような映像を撮ろうと心がけました。あまりに美しすぎると、現実離れしてしまいます。ですので、あくまで爆発の映像、音はリアリティのあるものでなくてはならない。そのことを目指しました。音に関しては、実際の記録映画からとったものではなく、編集でつくりました。実際の音は、あれほどはっきりしたものではなかったと思います。
 
Q:この映画祭で10本以上見ているのですが、1位2位を争うくらいよかったです。自分のなかでも整理がつかないくらいすごい心地よかったです。主演の女の子がすごいかわいかったです。
質問ですが、監督は、事前にあの村に警告して移住したほうが良かったと考えているのでしょうか。というのは、他の映画では移住したら文化が失われてしまうということを描いているものがあったからです。
あともうひとつ、トラックから見つけたものは何だったのでしょうか。あれが何だったのかよくわからなかったので、何故雨のなかあんなに待たされていたのかわかりませんでした。それと爆破はすごく綺麗で、家は本当に爆破したのでしょうか?

 
監督:1949年に初めての実験が行われるまでは、被害がどれほどまで出るかわからなかったのです。最初想定していた被害の範囲は10kmだったのですが、実際は40km圏内で爆発実験による被害が起こりました。しかし、それほど広い範囲で被害があるとは、実際に実験が行われるまでわからなかったです。その次の2回目の1953年の実験では、60kmの範囲にまで被害が出ると想定されたので、その中に住んでいた人と家畜をトラックに乗せて避難させました。そのときには、伝統が残るかどうかというのは全く考慮されませんでした。当時第二次世界大戦後で、軍拡の時代でしたから、伝統は細かいことと捉えられ、注意を払われなかったのです。
二つ目の雨のシーンについての質問ですが、実はこのシーンがよくわからないという質問はよく受けます。このシーンでは、父親が軍人たちの検査によって被爆したことが分かったので、病院に連れて行かれるわけです。ただ、病院に連れて行かれた父親は、自分の家で死ぬために病院を抜け出して戻ってきます。
最後の質問に対する答えですが、実際に家を爆破したのかどうかということですが、あのシーンは実際に爆破しました。
 
Q:お父さんは核関係の施設に勤めていたため、娘さんを途中までしか連れていかなかったのですか?
 
監督:娘は毎朝10kmの境界線、爆発予定地点まで父親を送ってそこで別れていました。
※補足:作中の親子はピックアップトラックに乗って娘だけを核施設から10km地点のところで降ろし、お父さんのみ核施設へ出勤するという設定だったとのこと
 
Q:素晴らしい作品をありがとうございました。監督に直接質問ができることがとても光栄です。
私は日本に住んでいるので、原爆というと広島や長崎を連想するし、原発といったら福島を連想します。英語の題は『Test』という風にあるのですけど、もしロシア語の原題もそのようであるのならば、カザフスタンに住んでいる人々やロシアに住んでいる人々にとって、この題は核実験とどのくらい結びついているのかお聞きしたいです。
もう一つ、冒頭に監督は映画の着想について話されたのですが、私はもっとその前に核実験についての映画を撮りたかったのかなと思いました。核実験後の被爆者の苦しさという角度からの映画も可能だったと思うのですが、このように美しい生活が最後に壊されるという、ショッキングな構成をとったのはどうしてでしょうか。

 
監督:ご質問ありがとうございます。今回の私の映画は英語の題を『Test』としましたが、原題では「イスピターニエ」といいます。この言葉には二つの意味があります。一つ目は、人の心にとっての試練、二つ目が実験という意味です。ただ、このタイトルを英訳するときにぴったりの訳が見つかりませんでした。ただ英語の『Test』というのは全てのニュアンスを伝えてくれる訳ではありません。そして二つ目の質問については、この映画は核実験についてのものではありません。人類が自分を壊してしまうような核兵器についての映画ではありません。あるところに男の子と女の子がいて、お互いを好きになって、その子たちには何の罪もなかったのだけども、それでも死を迎えてしまったというそういった映画です。

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