「どんな作品であっても挑発しなければいけない。軽いテーマで映画を作ることにはまったく興味がないのです。」――ヴォイテク・スマルゾフスキ(監督)
作品詳細
ポーランド共産主義体制の最後の日々を背景にした犯罪映画『ダーク・ハウス/暗い家』で2009年のTIFFに参加し、話題となったポーランドの人気脚本家兼監督のヴォイテク・スマルゾフスキ。今年のコンペティションで上映された『マイティ・エンジェル』は、“飲酒”をテーマに、アルコール依存症に苦しみリハビリ・センターへの入退院を繰り返す作家が体験する現実と虚構の狭間をリアルに、時に正視できないほどの激しさで描写し、観る者を圧倒させている。
――世界中に存在するアルコール依存症の患者を主人公にしたきっかけは何でしょう?
ヴォイテク・スマルゾフスキ監督(以下、スマルゾフスキ):アルコール依存症というのは、病気です。セメントを作るコンクリートミキサーは、一度回転してコンクリートを作り始めるとでき上がるまで止まらない。あれと同じで、アルコールも飲み始めたら気分が良くなって止められなくなる。そして、やがては依存症に…。このテーマで作ろうと思ったのは、私の父がアルコール依存症であったことも多少関係しています。そして、私自身が依存症というほどでもないけれど、それに近い症状だなと思ったことも理由のひとつです。自分の生活のなかで、「アルコールが、僕の何かを邪魔をしているな」と思うことがあるのです。ですから、「どうしてアルコールが邪魔をしているのか?」「どんな時に、何に対して邪魔をするのか?」という、私なりの疑問に対する答えを探そうとしてこの映画を作ったのです。
――ご自身はどれくらい飲むのですか?
スマルゾフスキ:赤ワインが好きですね。ウィスキーも、シングルモルトも、チェコのビールも美味しい。だいたい毎日赤ワイン1本は飲んでいます(笑)。
――リハビリ・センターに入院した作家が見た、患者たちのさまざまな悲惨な体験が描写されます。しかも、その時系列が頻繁に入れ替わるために、観る者も酩酊したような錯覚に陥ることもあります。これは意図的ですか?
スマルゾフスキ:それは私の狙いです。実際に起きたこと、起こっていることなのか? それとも主人公である作家の想像力の産物なのか? その境界線のようなものを消すことが狙いでした。彼自身が飲んでいることをコントロールしているはずなのに、それすら分からなくなって、朦朧とした世界に陥る。冒頭で作家が言うでしょう。「飲める人と飲めない人がいるんだ。私はアルコールをコントロールできる」と。彼はそう思っているのですが、はたしてどうなのか、僕の言いたいところはそこなのです。あの現実と妄想の混沌とした酩酊状態にどっぷりと浸かってしまう。8
ですから、ラストシーンが効いてくる。自分も酔っぱらったような感覚に陥った観客があのラストでやっと冷静になって、今まで観てきたものを整理できるのかなと思っています。
――俳優たちがまるで本当に酔っぱらっているかのような熱演でした。
スマルゾフスキ:撮影中は誰ひとり、一滴も飲んでいません。飲んだら仕事になりませんから。1年かけてこの映画を作りましたが、その間、私もまったくお酒を飲みませんでした。やっぱり気を確かに持って撮りたかったんですよね(笑)。
――この作品に限らず、どういう姿勢でどういうメッセージを伝えたくて映画を作っているのですか?
スマルゾフスキ:まず、どんな作品であっても挑発しなければいけない。それは知的な挑発であったり、感情的な挑発であったり、感動を与えるものでなければならない。そうでなければいけないと考えています。私は軽いテーマで映画を作ることにはまったく興味がないのです。テーマに共通点を探すとなると、たぶん「孤独」じゃないかと思っています。これまでの作品を振り返ってみると、なんだかずっと同じ作品を作っているような気がします。
取材/構成:金子裕子(日本映画ペンクラブ)