10/26(日)、ワールド・フォーカス『闘犬シーヴァス』の上映後、プロデューサーのナズル・キレルジさんのQ&Aが行われました。
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ナズル・キレルジさん(以下、キレルジさん):皆様このように遅くまでお残り下さいまして、ありがとうございます。この映画を観て下さって、本当に感謝します。今回、監督のカーンが来られませんでしたが、とても残念がっておりました。電話で話しましたけれども、来週トルコでこの映画が公開されますので、それに手を取られて今回は伺うことが出来ませんでした。しかし、次作を持って必ずや東京国際映画祭に伺いたい、と申しておりました。
Q:トルコでの闘犬について教えていただけますか?
キレルジさん:アナトリアの中部で昔からあるのが、この闘犬という慣習なのですけれども、これは実は違法です。ギャンブルを男たちが行い、そして犬を闘わせて、やりとりをするという風習であります。そのために特別な闘犬用のカンガル犬というものを交配しております。
Q:トルコは闘犬の他にはそういうものは何かあるんでしょうか?
キレルジさん:闘鶏、つまり鶏を闘わせるということがあります。その他の地域で別のものを闘わせるような何かがあるかもしれませんが、私が知っているのはそれだけです。
Q:キャストについてお伺いしたのですが、子役が素晴らしかったと思うのですが、あれはどういう子でどういう風に見つけられたのでしょう?
キレルジさん:実は撮影を始める前に、イスタンブールやアンカラからプロの子役も連れていっておりましたし、あの撮影がありましたワンカールという村の他の子供たちもキャストとしてもう決めていました。で、実はあの子役のドアンは、そのロケがあった村に住んでいる子で、その同じ村の別の子役が主役に決まっていました。しかし監督があの映画に出てくるたくさんの子どもたちと一緒に日々を過ごすうちに、ある日このドアンくんが他の子供たちといろいろやり取りをしているのを見て、「あっ、この子だ。この子こそが主役だ」という風に決まりました。
Q:アナトリア地方ですけれども、この地方の特徴を教えていただけますか?
キレルジさん:映画だけではなく、文学でもアナトリアというのはたくさん扱われております。多分その理由というのは、トルコの一部でありながら、アナトリアは長らく政治的・社会的に忘れられ、無視されてきた存在であるということです。これが芸術家たちの気持ちを惹きつけるんですね。現実をぜひとも見せたい、現実と向き合いたいという願いを持った芸術家たちを惹きつけて、そして色々なものに紹介されてきております。アナトリアの特徴といいますと、一つは今申し上げたような社会的なレベルでそういった特徴があるということ、もう一つは風景です。映画でご覧になった通り、あの岩山がずっと続くようなとても絵になりやすい風景です。同時に、とても政治差別の厳しい伝統があり、そういったところが芸術家たちを惹きつけて止まないのだと思います。このように今申し上げたような特徴がシーヴァス、そしてまた多くの文学で取り上げられているアナトリアの特徴だといえると思います。
Q:少年が煙草を吸うシーンがありますが、トルコ及びイスラム圏では未成年の喫煙は良いのでしょうか?
キレルジさん:トルコでも18歳未満の子供が煙草を吸うことは法律違反です。もちろんアルコールも禁じられています。でもこれは劇映画ですので、ああいうシーンが入っているんですが、東京では私自身煙草を吸うのがなかなか大変で苦労しております。
確実に申し上げることが出来るのは、もしここに監督がいたとしてその質問をされたら、あれを入れた意図は何ですかとお聞きになったら、それは皆さんのご想像にお任せしますと言うに違いないということです。彼は、そういうことを説明することをとても嫌う人で、全ては観る側の持っている、その人の背景、その人の感情によって読んでほしいと考える人です。
Q:犬たちは本当に闘わせたのでしょうか?本物の闘犬を使って、本当に闘わせて、血まみれになってやらせたのか、タレント犬に演技をさせていたのか、教えてください。
キレルジさん:実はシーヴァスの役をしている犬は実際に闘犬として育てられた犬です。そして、あの中では闘っているようには見えますけれど、実際には闘わせてはいません。それでメイクアップをかなりして、血に見えるようなものは食べてもいいような顔料です。それで、二台カメラを使って、闘っているかのように見せる工夫をしました。
それから、闘犬というのは一回噛みついたら何キロもの肉を噛み切ることが出来るんですけれども、特別なクリームを口に塗ることで、あんまりたくさん噛み切れなくなるような工夫もしました。そういう特別なクリームを使うことで犬の噛みつく動きが緩慢になります。そういうわけで何度も何度も休ませながら撮影を行ったので、実際に犬がひどく傷つくとか、犬の健康を損なうということはありませんでした。
それから犬をキャスティングするところから、撮影が終わるまで常に三人の獣医さんの立ち合いの元で行いました。
Q:この映画の、テーマとして二つあると思います。一つは、社会的なものですが、もう一つはとても普遍的なテーマがあると思います。
キレルジさん:もしここに監督がいたとしたら、多分自分の意見は言わないと思います。ですがそれをちょっと無視して今の私の意見を言わせていただきますと、やはり普遍的な物語を物語る上で、犬は道具のひとつですね。あの中で少年が大人になっていくということを語っているわけですけれども、性差別というもの、男性至上主義そういったものというのはアナトリアだけにとどまるものではなく、ノルウェーでも東京でも、ベルリンでもどこにでもあるものだと思います。
Q:性差別というところと繋がるのですが、ほとんど女性が映らなかった。映っても声だったり、ちょっとぼやけたところが多かったと思いますが、そういうのもやはり性差別が関係しているのでしょうか?
キレルジさん:メッセージという形では解釈したくはありませんが、確かに性的な役割が決まっている文化だということを表すうえで、女性の不在というものが使われていると思います。