10/27(月)、ワールド・フォーカス『ヴォイス・オーヴァー』の上映後、クリスチャン・ヒメネス監督、プロデューサーのナディア・デュランセヴさんとジュリー・ガイエさんのQ&Aが行われました。
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クリスチャン・ヒメネス監督(以下、監督):大変うれしく、また日本に戻ってまいりました。そして皆さん方が私のことをクリスチャン・ヒメネスさんと呼んでくださるのが、自分で聞き取れるんですね。そう呼ばれるのはとても嬉しいです。今回なんと初めて、ジュリーとナディアと一緒につくった映画を皆さんにご覧いただけることを大変嬉しく思っておりますが、そもそも私たち3人が出会ったのもここ、東京国際映画祭でした。ちょうど5年くらい前でしょうか、私の『見まちがう人たち』を上映している時にちょうどジュリー・ガイエさんの映画(『エイト・タイムズ・アップ』)も上映されていまして、それがきっかけでお会いして、そしてこういった形で作ることになりました。
Q:ジュリーさんはそのときは女優としていらっしゃいましたけど、今回はプロデューサーとしていらっしゃっていますね。
ジュリー・ガイエさん(以下、ジュリーさん):今回私も大変うれしく日本に戻ってまいりました。ご招待いただきましてありがとうございました。5年前ということですけれど、その5年間の間にすでに1本、私たち一緒に映画を作っておりまして、『Bonsai~盆栽』という映画を作りました。そのときには上映のためにクリスチャンは日本に来たのですけれど、私たちは来ることができませんでした。久しぶりにまた日本に来れて大変嬉しく思っております。
Q:ナディアさんにぜひ伺いたいのですが、クリスチャンさんの魅力とは何でしょうか。
ナディア・デュランセヴさん(以下、ナディアさん):「ヒメネスさん」って2人とも呼びます。それも日本にいるときだけではなく、一年中そういう風に呼んでいます。よく冗談で言うんですよ。ヒメネスさんの頭の中に皆で入ってみたいねって。彼はとにかく的確なんです。そしてとてもそこに詩的な部分もありますし、ユーモアもある。必ず彼の言ったりやったりすることはこの3つの要素が入っている。ですからそれが全部詰まった彼の頭の中に入ったらどんなに楽しいだろうって皆でいつも言っています。
Q:ヒメネスさんにぜひ伺いたいのですけれど、最初に『見まちがう人たち』を見たときに、私たちは中米、南米の映画はたくさん見てきましたけれども、チリの人というのは何でこんなに日本人に似ているんだろうと思いました。それは国がずっと細長い形をして、四季があって、それが日本に似ているからなのかなと思ったのですが、チリの人は日本人に似ていると思いませんか。
監督:それと地震もありますから。本当に冗談ではなくて、地震というのは我々の生活の一部になっております。ですからよく海外の方がチリに来て、ちょうど地震に遭うと皆逃げまどいますが、チリの人たちは2分くらいずっとじっとしていて、どこか逃げた方が良いかな、逃げる価値があるかな、と、収まるのを待っている。そういったのがチリの人間たちです。似ているかどうか、僕は疑問に思います。あくまでも太平洋が2つの国の間にはありますし、僕自身としてはとても日本にいるのは居心地が良いです。ですけれども、常に日本は僕にとって未だにミステリアスです。それでも、共感を持っているところはたくさんあります。
それは何故かというと、僕がやはり日本に対する知識をかなり持っているからなんですね。それをどこから得たかというと日本の映画です。そういった意味で、やはり映画っていうのは常に違った文化、異文化の間の一つの窓口になっている。または懸け橋になっている。そこから色んなことを学んで、そしてミステリアスだと思いながらも異国のことをよく分かる気持ちになるということだと僕は思います。
Q:ラストシーンが象徴するものは何ですか?
監督:ちょっと僕はその質問にお答えすることができません。それは何故かというと、僕自身この映画というものをそもそも一つの物体だという風に思っています。それを、たとえば自分のメッセージを伝えたい一つのツール、またはチャンネルとして使ってしまってはいけないという風に思います。映画を映画として見ていただきたい。たとえば彫刻を彫刻として見るように。または絵画を絵画として見るように。そういう意味で裏に秘められたメッセージとか、裏に秘められたシンボルは何かっていう風に聞かれると僕は答えられないんです。それは何故かというと、映画の中で僕は映画を作るにあたって色んな決断をしていきます。たとえば照明一つをとっても、または音響一つをとっても色んな判断をしていくわけです。そういった判断を重ねていって、映画を製作する過程を経ていくと、映画自身が一つの物体、生き物になるような、それも僕の手を離れた独立したものになるという感覚を僕は持ちます。そしてそうなったら今度、例えば皆さん方には僕の手から離れた僕の作品をご覧いただいて、それぞれの解釈をしていただきたいと思います。そして、僕も僕なりの解釈を持ちます。そして今日皆さまが得たこの映画に対する解釈というのは、もしかしたら2年後には変わっているかもしれない。僕の解釈も変わっているかもしれない。それは何故かというと、皆さん方も僕も常に変化しているから。その解釈が変わっても当たり前だと僕は思います。
Q:原題はこのまま『ヴォイス・オーヴァー』という同じ訳なのでしょうか。また、アントワン役のニールス・シュナイダーさんの印象を聞かせてください。
監督:はい、そうです。ただし一点だけ違いまして、最初の方は『ヴォイス・オーヴァーズ』という風に複数形にしておりました。それで今は『ヴォイス・オーヴァー』に変えたのですけれども、この『ヴォイス・オーヴァー』というタイトルは、この物語を頭に浮かべて書き始める前からありました。それは何故かといいますと、今回僕はファミリー、それも女性たちが中心の何世代にもわたるファミリーを描きたいという風に思ったんです。それで『見まちがう人たち』の場合は、どちらかというと、あれは本当に視覚、”optical illusion”というくらいですから、目から見た情報だとか、目とかそういった視覚的なものが中心となっております。ですから次の作品は、音または台詞、そういったものを中心に書きたいという風に思いました。そして『ヴォイス・オーヴァー』というタイトルが浮かびまして、それがとても魅力的なタイトルだという風に思いました。物語の一つの原点としてはとても良いのではないかと思ったので、まさにこの『ヴォイス・オーヴァー』というタイトルはこの映画の土台となっています。
2つ目の質問の答えですが、ニールスさんはとてもハンサムです。フランス系カナダ人です。アントワンを演じた俳優さんですが、実はそもそも彼とカンヌで出会ったんです。私の作品『Bonsai~盆栽』を上映していたときに偶然出会いまして、仲良くなって、設定としてはアナよりもアントワンの方が少し年下だという設定だったので、彼にちょうどいいのではないかという風に思いまして、オファーしたところ喜んで出演を快諾してくださいまして、チリに来てくれました。
ジュリーさん:チリに来た彼はスペイン語をほとんどしゃべれなくて、だけどもこの映画のためにわざわざ来てくれて、その気持ちが自分はとても嬉しかった。だから本当に言葉が通じないから迷子のようになってしまった。そのクレイジーなところが、私たちは本当にありがたかった。
監督:少しはスペイン語を喋れていたのですが、チリのスペイン語と、本場スペインのスペイン語とはちょっと違う。ちょっと訛りがあって、僕は外国の人が一生懸命、チリの訛りも含めてスペイン語を話そうとしているところもとても好きなので、台詞なんですけれども、iPhoneに自分が彼のスペイン語の台詞を録音して、俳優さん(ニールスさん)が一生懸命そのiPhoneを聞きながら練習しました。
Q:脚本を作成している段階、もしくは編集の段階などで、プロデューサー陣の意見としてこだわられた点、何かあれば教えてください。
ナディアさん:今ちょうどその編集と脚本段階で何か言われましたか、とおしゃっていましたが、その二つの段階をおっしゃるのは非常に面白いなと思いました。なぜなら、正直いって私たちフランス人のプロデューサーはバルディビアで撮影しているときは全く無用だったからです。
ジュリーさん:監督は私たちプロデューサーなしで撮影を楽しみました。
ナディアさん:低予算ですから、二人もプロデューサーをフランスからわざわざチリまで移動する飛行機代すら出なくて。フランスとチリはとても遠いですから、飛行機代もとても高いです。ですから、私たちは行くことが出来ませんでした。あとは、唯一のコミュニケーション手段として、スカイプを使いました。スカイプで監督が撮影・編集した動画をビデオインターネットで送ってくれます。それを観た上で、スカイプをしながらプロデューサーである私たちがいろいろ意見を出す、というかたちで制作を進めていきました。ここがヒメネス監督の素晴らしいところで、本当に私たちの意見を聞いてくれる。そして、我々の意見を参考にしてくれる、ということがありました。本当に一緒に映画をつくっている、一緒に仕事をしている気持ちがありましたし、そして映画の中のボイスは非常に重要だと思っております。語られないボイス。例えば、家族の秘密だったり。語られない部分のボイスを編集の中では重要に考えていました。
ジュリーさん:先ほど、監督は「映画は彫刻のようだ」とおっしゃっていましたが、まさに私たちの彫刻を削って映画を形づくっていくという同じ過程でした。あともう一つ付け加えたいのは、ナディアと私が事前に打ち合わせをして口合わせをしているわけではないですが、必ず彼女と私の意見が同じでした。自分たちも不思議なくらいでした。
Q:前作も音楽が印象的で良かったという印象が残っています。監督は普段どういう音楽を聴いているのですか。
監督:僕の聞いている曲はけっこういろんな曲があります。そもそも僕が作品のために選ぶ曲はキャラクターだったらどんな曲を聴いているかな、とイメージしてその映画の中にいれます。『Bonsai~盆栽』はそのキャラクターが好みそうな曲、聞いていそうな音楽を選びましたし、メトロノミーに関してはアナのキャラクターが聴くのではないかと思ってアナの場面でメトロノミーを使って、もう一人のソフィアの時はチリの地元のミュージシャンの曲を流しました。僕の本当に個人的なことを言いますと、ころころ好みは変わります。映画の好みも結構変わるのですけれども。僕にとって作品のための曲選びというのは大変な作業です。これだと思って、映像と曲がマッチしていると思って選びますが、何度もかけていくうちにそうではないなと気が付いたりして。ということで試行錯誤で選んでいきます。監督さんの中には、一発でぴったりの曲を見つけて使われる方もいますが、僕は決してそうではなくて試行錯誤の連続です。
もう一つ付け加えるとすると、この映画は先ほど台詞が重要な要素であると申し上げましたが、その台詞というのは実際に語られている台詞はそうですし、語られていない台詞・想いというのも非常に重要です。語られていないものの一つの象徴として食べ物を使いました。食べ物でその人の状況や想いというのを表現しました。同じように、音楽もそうでした。よく音楽というのは台詞の間を埋めたり、語られないことを表現したりして使われると思います。僕のかつて付き合っていた女性が、e-mailの文章はあまり書かないんですが、かならず曲をつけて想いを僕に伝えてくれたりしていました。そういう風に音楽というのは語られない部分を伝えるものとして、この映画では使っています。