10/28(火)、コンペティション『ナバット』の上映後、エルチン・ムサオグル監督と女優のファテメ・モタメダリアさんのQ&Aが行われました。
⇒作品詳細
ファテメ・モタメダリアさん(以下、モタメダリアさん):こんにちは。皆さんこんばんわ。劇場にお越しくださいましてありがとうございます。みなさん、終電も近いのではないかとも思うのですが、わざわざありがとうございます。戦争への心配は私たちと同じだと思うのですが、分け合っていただいてありがとうございます。
エルチン・ムサオグル監督(以下、監督):皆さんこんにちは。皆さん本日はようこそお越しくださいました。本当にありがとうございます。小津ですとか、黒澤が生まれた国において私の作品が上映されたことについて誇りに光栄に思います。
Q:扉や窓などが、風の圧力で開いたり閉じたり繰り返すという場面が、すごく象徴的に使われているように感じたのですが、これについて監督はどのように考えていますでしょうか。
監督:自然の中のイメージというか、それをサインとして使っています。そして、今ご指摘をいただきました扉ですとか、窓というのは、サインだと考えています。
Q:まず、監督にお聞きしたいのですが、正確に知らないのでお聞きしたいのですが、ご自身の国の歴史が、この映画に関係しているのかどうかをまず簡単にお聞きしたいと思います。モタメダリアさん、非常に難しい役だったと思いますが、どのような想いでこの映画を演じて、あるいは、どのようなところを演技上苦労したか、お聞きしたいと思います。
監督:1991年にソ連が崩壊した後に旧ソ連国家の間でさまざまな対立が行われました。そして、その対立の一部というのが、アゼルバイジャンと後その隣国との対立というのがあります。そしてこのような戦争、あるいは対立が起こった結果、母国を離れることを余儀なくされてしまった難民というのが、たくさん生まれています。ですが、今回この作品というのが、戦争そのものを描こうとしているのではなく、その戦争が対立する、戦争がどういったことを示唆しているのか、この国だけではなくて、すべての戦争に対する示唆というのを描こうとしています。
モタメダリアさん:役作りはとても難しかったです。ロケは自分の国ではなかったですし、言葉は全然母国語と違って、それで役の年が私と全く違ったので、全部難しかったです。
司会:ファテメさんはイランの方でいらっしゃいますね。
モタメダリアさん:それによって、特に映画の中で、演じている間は苦しんでいました。なぜなら、ご覧になっていた映像、例えば雨の中に重い兜を引っ張ったりとか、すべてのシーンを、自分自身がやっていました。スタッフは誰も使っていないので、撮影が終わると、大声で泣いていました。しかし、自分は現場に居たクルーや、またはその近辺の方々の優しさと頭の良さで支えていただいたので、終わってみると本当にこの映画に出演したことを光栄に思います。
Q:監督さんにお伺いしたいのですが。この映画は1シーンで結構長く撮られているシーンがありましたが、それは監督さんのスタイルなのか、それとも演出上何か意図がおありなのか、ということ。もうひとつ、狼が出てきますが、あれは何を意味しているのでしょうか。
監督:アゼルバイジャンでは、「闇が野生動物で埋められる」ということわざがあります。例えば鳥ですとか、狼ですとかが埋められるという言い方がされるのですが、この作品の中での狼のイメージというのはナバットが直面している恐怖をイメージしています。そしてナバットが、狼を助けるのですけれども、そこは自然を救うといいますか、この母なる自然をナバットが救ったことを意図しています。このように、狼を助けることによって、自然を助けて、調和に貢献しているということだと思います。1テイクが長いのは今回の作品のスタイルです。このようにテープを長くすることによって、観客の方々もこの映画の一員として参加して欲しかったからです。映画の波と観客の方の波が同調することによって、観客の方々もこの映画の一員として参加していただけると思ったからです。
Q:国内外を通じて最近女性が一人で居るような、そういうものを感じるような映画が多いなと感じていまして、まさに今回のナバットというのは、ナバットという女性を淡々と一人で居るところを映しているのですが、今回監督はこの映画にナバットという女性を淡々と描くというところに、どのような想いがあるかお聞かせください。
監督:このナバットというのは、母であるのですが、全ての母を代表としている存在だと考えています。そして私たちの国だけではなくて、すべての世界中の母親を代表としていると考えています。そして、ナバットのイメージというのが、戦時中の、すべての母親に変わるイメージを持つと思いますが、世界中の戦争の状況というものを反映させたいと考えています。そして、戦時中というのはたくさんの殺戮が行われてしまいます。母親というのは単に自分の息子たちが幸せに生きていくことを願っているわけですが、戦争によってこの母の願いというのが奪われてしまう。そして母親の子どもが戦争によって殺されてしまうと、母の願いというのもなくなってしまい、そして生きている意味さえも失ってしまうと思っています。もう一つ母に対する言い伝えというものがありまして、アゼルバイジャンでは「天国は母の足元である」といわれています。
Q:お二人に質問なのですが、まず監督が主演女優の方を起用した一番の理由と、先ほどおっしゃっていましたが、国も違うし言葉も違うけれど、設定も年齢もかけ離れているのに、このオファーを受けた一番大きな理由をお聞かせください。
監督:この役柄については他の国でも探しておりまして、簡単にお答えしますと、イランの様々な友人から紹介がありまして、まあ彼女の作品を一本見まして、即決いたしました。
モタメダリアさん:特別な役をやることに興味を持っていますので、やりました。脚本をもらって読んだときに一つ興味を持ったことというのが、この脚本の中のメインサブジェクト、今抱えている問題、要するに戦争についてだと思いました。実は自分の国では8年間、戦争がありました。そしてアメリカや他の国、インドネシアなども戦争を経験したことがありますし、もちろん日本の方も戦争を経験ことがありますよね。ですから、この非人間的な、人間がとっている行動、実の行動というのをどのくらい嫌っているとか、自分は、自分が良いと思ったことをこの役に通じて説明できると思いました。