10/29(水)、コンペティション『来るべき日々』の上映後、ロマン・グーピル監督とサンダ・グーピルさんのQ&Aが行われました。
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監督:今回2度目の来日なんですけれども、また東京に戻ってくることができて、大変嬉しく思います。カタログに載っている文章にも書いてあるのですが、またこの東京という素晴らしい街を探検して発見するのも嬉しいですし、前回1回目の上映もあったのですけども、そのときのQ&Aも無事、楽しく終わりまして、今回も、皆様からどういった反応を得られるのか、楽しみにしております。
サンダ・グーピルさん(以下、サンダさん):私からもこんにちは。私は今回初めての来日で、日本も東京も初めてなんですけども、ここに来られて、日本という国を知ることができて、本当に嬉しく思います。
Q:質問が2つありまして、この作品を作るきっかけになったことはありましたか?今後の東京国際映画祭に期待していることはありますか?
監督:まず、2つ目のご質問から答えさせていただくのですが、前回あなたが私の映画を見られたときには中学生で、今回は若い女性でいらっしゃるので、あなたが大人の女性になったときにも、また来られるといいなと、それを期待しています。
1つ目のご質問のきっかけのことなのですけども、少し2つ目の質問にも関わってくるのですが、色々映画の中で出てくるように、シナリオというのが色々あったのに、実際映画には撮れていないというのがありまして、自分がこれからいくつ作品を作れるのだろうか、とふと思いました。それが年齢のためなのだろうかとか、今まで自分が生きてきた人生よりも、今後の人生は短いのではないかとか考えるようになりまして。次にまた映画ができて、それでまたいつあなたにお会いできるのかとも思います。大体映画というのは3年くらいかかりますので、あといくつ作品を作れるのだろうかという気持ちで、この映画を作りました。
Q:葬儀のシーンで、ものすごく豪華な役者さんたちが集まっていたのですけども、どういった経緯でお集めになったのか、そのエピソードなどがあれば、是非お願いします。
監督:葬儀のシーンですけど、本当の葬儀を想定して、まるで本物のように撮りまして、本当の友人たちを呼んでいます。中には、皆さんがご存知のような有名な方もいらっしゃいますし、皆さんには普通に見えても、フランスではそこそこ知られている人たちもいます。ですので、本物の友人たちに声をかけて集まっていただきました。実際普通の人は自分の葬儀を自分の目で見るというのは不可能なことですが、映画監督として、ああいったシーンを撮る事によって、自分では実際出席できない葬儀を自分の目で見られるというのがとても面白い体験だと思ったので、ああいった形で撮りました。妻のサンダが本当に泣いてくれているかなと、それを確認したかったというのもあります(笑)。
Q:サンダさんは彼の葬式という設定については、やはり少し悲しくなりましたか?
サンダさん:あのシーンですが、実際はかなりコミカルな感じで、何度もリハーサルをしております。リハーサルを繰り返せば繰り返すほど、面白みがでてきて、自然と運んでいったのですけども。繰り返すたびにどこまでが本当でどこまでが嘘か段々分からなくなってしまいました。例えば、実際私の母もあの場にいたのですけども、ロマンがわーわー喚いているのが何をしているのか分からない様子で、「これは映画の中の演出をしているという設定で」というのをわざわざ私が説明しなくてはいけなかったほどでした。だから皆何が本当で何が嘘なのか、わけがわからなくなったという面白い舞台裏でした。
Q:映画の中で、アブル(~的)とイズム(~主義)というのを対比させた言葉遊びをずっとしていますけども、あれは監督自身の経験とか、過去への批判などが込められているのかどうかお聞かせください。
監督:まず、時代の傾向としてどのように移り変わっていくのかというのを表現するときに、服装だったら当時の服装だったりして分かりやすいのですけども、言葉が進化していくのは、服装が進化していくのとは違って、よりゆっくりしているような気がして、現在テレビでどう喋られているかとか政治の世界でどう話されているかとかは、そういったイズムとか~アブルとかは、言語的要素で、語ってはいけないことを語ってしまっていたりとか、色々な含みがあると思います。色々な世代で、昔と現在、どのように言葉の使い方が進化してきたか考えるときに、例えばフランスの68年世代とか、日本で言えば全学連とか、アメリカだったらバークレーとか、場所が東京であっても、パリであってもどこでも、昔は~イズムという言葉が主流だったと思うんです。でも今は、特にエコロジーの環境の話をするときに、再利用ができるとかそういった言葉の使い方の傾向に変わってきていると思います。なおかつ、最後の方に話していますが、子供のころは政治の話ばかりをしてお金の話をしなかったけれども、40-50歳になると、お金の話ばかりになってしまって、例えば子供のためのお金とか、家を買うときに一平方メートルいくらだとかの話になってしまって、年を取ったら今度は前立腺ガンがどうだとか、病気の話ばかりになってしまいます。話す内容も進化しているし、話される言語の使い方も進化している。そういう時代的な傾向の流れ、服装とかなら簡単にわかるのですけども、言葉はゆっくりだけども進化している。そういう言語の進化の話のために、イズムとアブルの話は取り入れました。
Q:災害を引き起こすキャメラの企画は実際どれくらいまで進んでいましたか。また、奥様は、こういうプライベートな自分をそのまま出すということに関して、ヌードまで出すということに対して、了解をどのようにされたのか、夫婦の間の問題をどう乗り越えたのかということ。葬儀のシーンですけども、監督はいつもああいう演出のされ方をしているのか、という。この3点をお聞かせください。
サンダさん:まず、最初にシナリオを渡されて読んだときに、10分間くらい私たちの家族の映像のアーカイブが使われるということを知りまして、それは我々のプライベート映像だったのですけども、何を選ばれるかどうかは聞かされていませんでした。結果として、映像美のために、色々と必要なのだろうなということでOKを出していきました。主人公が、いろいろと夢見たり妄想したりするときに、自分の子供のこととか、子供も私も裸で出てたりはしていますけども、結果として映像美として生きてきているのでOKということで了解しました。ひとつ面白い裏話がありまして、私がシーツの上で裸になっているシーンがあるのですが、私は実はフランス人ではないので、フランス語で読んでも隅々まで言葉の使い方わかっていないところがありまして、「アンダーザシーツ(シーツの中)」だと言われたのだと思って、撮影現場に行ったら実は「オーバーザシーツ(シーツの上)」だったということで、とてもびっくりしました。私はシーツにくるまれて撮影されると思っていたんですね。でも映像美として、なんとか綺麗だったのでOKしました。
監督:1つ目の質問の部分なのですけど、あれは個人的に体験していたことに基づいております。私はかなり若い頃60年代のころからたくさん映像を撮ってきていて、かなり長い間映像を撮っています。例えば、私が自分の親友を映していたとき、彼を撮影した後に彼が自殺してしまったということもありましたし、ドキュメンタリーにロシアに行って撮影してきたときに、編集映像を置いていた場所が大火事で燃えてしまったこともあります。自分が撮ったら災害が起こったというのは実際起こったことです。
そしてラストのシーンなんですけども、あれは確かに凄くバイオレントなシーンなのですが、元々撮影スケジュールでは一番最後に撮ろうということになっていました。ですが、色々な役者のスケジュールの都合で、撮影開始の最初の週に撮ることになりました。ですので、あれは結構バイオレントな感じで話されていますが、もしも、本来のスケジュールで撮れていたら、撮影中の様々な思いをもう一度ぶつけて、もっとバイオレントなシーンになっていたかもしれません。なので本来はもっともっとバイオレントなシーンになるはずだと、自分は感じていました。
裏話として、奥さんのお母さんがあの現場で「クラッツ!」とボスニア語で怒りだすシーンがあるのですが、自分の娘である奥さんに対してわーわー言ってるから、「私の娘になにするのよ!」という感じで彼女が怒りだしてしまいました。キャメラが2つ回っていて、皆何が本当で何が嘘かわからなくなっていて、全景も撮っているし、自分の持っているキャメラもあるので、どこまでが撮影でどこまでがそうじゃないか、何が本当で何が嘘か全くわからなくなっていました。でも実際の撮影現場での態度というのは、自分はもっと酷いです(笑)。