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2014.11.12
[イベントレポート]
「ミャンマーはフィルムの保存状態が悪いので、いい状態で保存されている白黒映画は12本くらいしかありません」ワールド・フォーカス『柔らかいステップ』-10/29(水):Q&A

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©2014 TIFF

10/29(水)、ワールド・フォーカス『柔らかいステップ』の上映後、マウン・ワナ監督の息子オッカーさんをお迎えして、Q&Aが行われました。
作品詳細
 
 
司会:石坂PD:ワールド・フォーカスの部門の中にディスカバー亜州電影というのが2本あります。これは、アジアの古い映画を見直そうという趣旨で、毎年そういう冠をつけて上映しておりまして、今年は今ご覧いただきました古いミャンマー映画、その他1本ということでお届けしております。
1972年当時の国名はビルマですけれども、長い間お国の中でもその存在が知られていませんでしたが、放送局に原版が残っていてたまたまその中にある映画学校にドイツの先生が教えに行ったときに、その存在を見つけまして、ドイツのベルリン映画祭をはじめとしたいろんな機関が協力してデジタル化して蘇ったということです。今年の2月のベルリン映画祭でお披露目になって、今回東京で上映できるということになりました。
ミャンマーは今、民主化の中で非常に国が動いていまして、映画関係者も日本との交流が盛んになってきています。そういうきっかけになればと思いまして、東京国際映画祭でミャンマー映画は初めてですけれども、ゲストもお迎えして送ることになっております。監督はもうお亡くなりになっているんですけれども、その息子さんでやはりフィルム・メーカーでいらっしゃいます方がいらっしゃっておりますので、そちらをお迎えしてお送りしようと思います。オッカーさんです、どうぞ。今日が2回目の上映になりますけれども、改めてご挨拶をお願いいたします

 
オッカーさん:私は父の代理として、ここに参りました。私の父は3年前、2011年に亡くなりました。この映画は父の2作目の作品です。1972年に撮影しまして、73年に上映しました。国際映画祭に出品したのはドイツのベルリン映画祭が初めてですが、その次がカンボジアの映画祭で、3番目がこの東京国際映画祭です。その当時、ミャンマーの楽団が各地を回って演奏するのですが、それと一緒に回って撮影したのが最初です。その当時、ミャンマーの楽団はお客さんを集めるために、自分たちの芸術を映画に撮影することは絶対に許可されない時代でした。しかし、その中でも父はその撮影をやりました。その映画を撮る前に、父は1年以上楽団と一緒に生活をして、撮影に臨みました。
映画の中で、主演の女優、男優以外の2,3人は、本当の楽団のプロフェッショナルをとり入れています。ありがとうございます。
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©2014 TIFF

 
司会:石坂PD:オッカーさんは、お聞きするところによると、お父さんも映画人でおじいさんも映画人で、芸術一家だとお聞きしたんですけれども、ご家族について、少しご説明いただければと思います。お父さんはミャンマーの中では相当に名前を知られた巨匠だったと伺いましたけれども。
 
オッカーさん:はい、そうです。
 
司会:石坂PD:フィルムは今どのくらい残っているのですか。
 
オッカーさん:父の作品でデジタル化されている作品は、20本以上あります。35mmのフィルムだと、5本くらいしか残っていません。
 
Q:この映画は楽団を撮った最初の映画というお話がありましたけれども、これ以降にそういった映画がどのくらい出てきたのかということと、ミャンマー映画としてアーカイブ化というのはどのくらい進んでいるのか、どういう状況なのか。ミャンマー映画の保存状況を教えてください。
 
オッカーさん:楽団の映画はほとんど皆さん撮らないそうです。なぜなら、収入の見込みがないので。白黒の映画で楽団をテーマにした映画は3本くらいしかありません。今でも楽団の芸術が残っているので、そこで踊っている人たちは映画化されていません。まとめていうと、ミャンマーで楽団をテーマにした映画は多くて5本くらいです。ミャンマーではフィルムの保存状態が悪いので、ミャンマーフィルムアーカイブスの保存されている、いい状態で保存されている白黒映画は12本くらいです。ミャンマーは暑い国なので、フィルムの保存がとても難しいです。湿度も高いのでフィルムの保存状態が悪いのです。だから自分もできるだけ父の映画や祖父の映画をしっかり自分で保存していますが、ミャンマーフィルムアーカイブスにも保存してもらっています。今、ミャンマーの古い映画が、ドイツに1本保存されていまして、チョコ共和国でも1本保存されています。
 
Q:このように珍しいミャンマーの古い映画を東京で観られて、とても嬉しいです。この映画は1972年に撮影されて、73年に上映されたと聞いていますが、この映画はどのくらい人気がありましたか。
 
オッカーさん:まだ、生まれていないのでわからないのです。父と母もまだ出会っていません。この作品は普通の映画ファンだけではなくて、ミャンマーの音楽家とか芸術家とか作家がとても気に入っていました。父の最初の作品はアカデミー賞を獲ったし、収入もかなりよかったです。2作目は自分が好きなようにとって、好きなようにお金を投資しました。
 
Q:2つお伺いしたいのですけれども、映画で描かれている伝統芸能の楽団というのは、今でも同じように見ることができるのでしょうか。太鼓に何か塗っていまして、字幕で「練粉」と出ていましたけれども、あれはどういうものなんでしょうか。
 
オッカーさん:今でも伝統楽団を外でも見られます。昔はとても良かったのですけれども、今ではとても近代化されていまして、前と違ってきていて、前のほうが良かったなと思いますが、今でも観られます。練粉に関しては、ミャンマー語で「パッサー」というのですが、それが何かは私もわかりません。私の想像では、お米を粘り気が出るようにしてからつぶして、それから貼っているのではないかと思います。
 
Q:映画を観ていて、二人が出会ったシーンで音楽が伝統音楽ではなくて、今風の音楽、特に1970年代、60年代の日本の加山雄三とか石原裕次郎の映画のサウンドトラックに非常に近い曲調に感じたのですけれども、その当時を振り返ってみて、ミャンマー、当時のビルマで日本の映画とか日本の文化というのはどのような感じで皆さん捉えていたのか、影響を受けていたかもしご存じでしたらお聞きしたいです。
 
オッカーさん:その当時、日本の映画もミャンマーで多く上映されていました。父は黒澤監督の映画もとても好きでした。父が一番好きな方は、ロシア、ソビエト連邦のセルゲイ・エイゼンシュテインという方です。おそらく日本の映画や音楽も父は気に入って、その影響もあると思います。

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