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2013.08.16
[インタビュー]
連載企画第7回:【映画祭の重鎮が語る、リアルな映画祭史!】-名将去り、新人来たる新世紀(1999年-2001年)

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東京国際映画祭事務局 作品チーム・アドバイザー 森岡道夫さんロングインタビュー
 
第7回 名将去り、新人来たる新世紀 (第12回1999年から第14回2001年TIFF)
 
──第12回東京国際映画祭のお話を伺いたいと思います。1999年は経済悪化の象徴となる日銀のゼロ金利政策がスタートし、東海村臨海事故が起きました。海外では、パナマ運河返還が実現したのがこの年です。世間ではミレニアム・カウントダウンが盛り上がり、新年を控えて「2000年問題」への不安が囁かれていました。
森岡道夫(以下、森岡):余談になるけど、西暦2000年は400年に一度の時別な閏月で、古いコンピュータには日付がプログラムされてないから大問題が起きると騒がれましたが、大したことはなかったですね(苦笑)。ノストラダムスの大予言なんて東宝が同名ベストセラーを映画化(1974)したけど、実際には、涼しい顔して時間が過ぎて行っただけでした。
さて、前回お話したように、1999年は、徳間(康快)GPが理事長を兼任した唯一の年です。その人となりを偲ぶ逸話は数あれども、最後の思い出に残っているのは、特別招待作品『シュリ』をめぐる出来事です。
 
──これは韓国で社会現象を巻き起こし、世界的にも大ヒットしたドラマですね。映画祭でトラブルがあったとは想像できませんが。
森岡:実は、事務局のなかで、本作の上映を危ぶむ声が聞かれました。映画に描かれる北朝鮮工作員の言動が過激であり、国際映画祭での上映に朝鮮総連が抗議してくるのではないかというのです。そこで最終的な判断を徳間さんに仰ぐと、「よし、俺が観る」と言って、自社ビルの試写室(徳間ホール、現在のスペースFS汐留)でひとりで映画をご覧になりました。上映終了までロビーで待ち続け、ようやくエンディング・テーマが聞こえたので中へ入ると、大きな拍手が聞こえます。徳間さんが手を叩いて、作品を称賛していたのです(笑)。
 
──最早、ジャッジを聞くまでもありませんね。
森岡:開口一番、「どこが悪いんだ。イイじゃないか」(笑)。それで上映決定です。
その後、堀江事務局長を連れて朝鮮総連に挨拶に行かれましたが、何も問題は起きませんでした。のちに一般公開されて日本でも大当たりして、いまに至る韓流ブームの礎を築いた作品ですが、当時は映画祭の上映をクリアするのに、そんな経緯がありました。
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©1999 TIFF
TIFFでの上映に登壇したカン・ジェギュ監督(左)と主演のハン・ソッキュさん(右)

 
──徳間さんは翌年、逝去されますが、その人柄を慕う声は今も絶えません。スタジオジブリの宮崎駿監督、鈴木敏夫プロデューサー、『シュリ』を配給した李鳳宇さん(元シネカノン・現SUMOMO)は、折に触れてその思い出を語っています。
森岡:皆さんそうだと思いますが、徳間さんほど、頼りになる人は他にいませんでした。仕事にはほとんど口を出さないし、良い結果を生むためには予算の工面も厭わない。問題が起きればすべて責任を負ってくれる。戦中派ならではの懐の深さで、現場を支えてくれたのです。ざっくばらんで豪放磊落。そのくせ、感情の機微を弁えている。あんな親分肌の人は二度と現れないでしょう。
 
――いまもって尊敬の念を集めるのも頷けます。
ところでこの回は、コンペティション部門の受賞でちょっとした物議を醸したそうですね?

森岡:チャン・ツォーチ〔張作驥〕監督の『最愛の夏』(台湾・TIFFタイトルは『ダークネス&ライト』)が東京グランプリ、東京ゴールド賞、アジア映画賞の3冠を独占し、アジア映画賞の作品がコンペを制するという展開になりました。
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©1999 TIFF
上映時のQ&Aには、チャン・ツォーチ監督(中央)をはじめとしたスタッフ・キャストが登壇。

 
――コンペは最も優秀な作品に、東京ゴールド賞は若手の優れた作品に、アジア映画賞は最も優秀なアジアの作品に贈られる決まりです。それがなぜ、ひとつの作品に集まることになったのでしょう?
森岡:ひとつには、この年のコンペ選考作に、粒揃いの作品が並んでいたからです。
マーサ・ファインズ監督がプーシキンの小説を映画化した『オネーギンの恋文』(英米合作・TIFFタイトル『オネーギン』)、デニス・イェフスティグニェフ監督が実際のハイジャック事件を題材にした『ママ』(ロシア)、バフティアル・フドイナザーロフ監督のファンタジー・コメディ『ルナ・パパ』(独日タジキスタンなど8カ国の共同製作)などのヒューマンな作品と、パク・ジョンウォン〔朴鐘元〕監督の『虹鱒』(韓国)、フランソワ・オゾン監督の『クリミナル・ラヴァーズ』(仏)といったブラックな味わいの作品があり、それぞれ魅力的ながら、ずば抜けた傑作はありませんでした。
 
――文芸物から寓話劇まで幅広い題材の作品があって、賞レースは混迷を極めたということですね。
森岡:それともうひとつ。アジア映画賞は、今はアジア部門の上映作品だけを対象にしていますが、このときは違っていました。コンペ、シネマプリズム、ニッポン・シネマ・ナウで上映されたアジアの新作を対象とし、15本が対象作品だったのです。
 
――それでアジア映画賞がグランプリと被ることになったのですね。
森岡:コンペの審査委員長はカレル・ライス監督で、他の審査委員は、カネボウ国際女性映画週間の常連で、高野悦子さんと親しかったマリルー・ディアス=アバヤ監督、『バカス』で第5回東京ゴールド賞を受賞したフリオ・メデム監督、女優の松坂慶子さんらでした。一方のアジア映画賞は崔洋一監督、トニー・レインズ(映画評論家)らが審査に当たりました。審査会の日程も異なっていて、互いの交流はなく、全くの偶然からひとつの作品に主要賞が授けられることになったのです。
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©1999 TIFF
コンペの審査員(左からマリルー・ディアス=アバヤ監督、松坂慶子さん、通訳さん、審査委員長のカレル・ライス監督、ペーター・オールベック・ヤンセンさん、フリオ・メデム監督、通訳さん、森岡さん)。

 
――審査結果を聞いて如何でしたか?
森岡:コンペの選定担当としては、率直に言って、グランプリと東京ゴールド賞が被るほど不作ではなかったと思いました。マーサ・ファインズ監督は最優秀監督賞に、『虹鱒』は審査員特別賞に、『ルナ・パパ』は最優秀芸術貢献賞に輝きましたが、その他の作品にも賞をあげたかったと思いました。
しかし、これは当時の話でいま振り返れば、『最愛の夏』が頭ひとつ抜け出ていたのでしょうね。映画祭史上例を見ない結果に、マスコミは賛否両論書き立てましたが、きちんと審査してくれた結果だといまは納得しています。ハンディキャップを負った若者の話で、同情票で決まったのであれば公正を欠いている。でもそうではなく、全体の完成度が評価されたのです。
 
──シネマプリズムは桜井毅さんが新たな担当者になりました。
森岡:桜井さんは、市山(尚三)さんの精神を継いでよくやってくれました。アモス・ギタイ監督特集(『カドッシュ』など3本)、アレクサンドル・ドヴジェンコ監督特集(『大地』など5本)、ソン・ツンショウ〔宋存壽〕監督特集(『窓の外』など3本)、「レトロスペクティヴ ロベール・ブレッソン」(全14作品)の4本を実現させ、計40本以上の作品をかけたのです。日本初上映や二度と見ることのできない作品があって、熱心なファンが駆けつけました。
なかでもブレッソンの全作上映は連日大盛況で、パンフレットが飛ぶように売れていきました。年の瀬にブレッソンは98歳で他界したので、これが生前最後のオマージュ上映になったかもしれません。
 
――いったん終了したフィルムマーケットの試みが、東京フィルム・クリエーターズ・フォーラムとして復活を果たします。
森岡:これは日本映画の輸出促進事業を手がけてほしいという、通産省の依頼で始めた事業です。今村昌平監督の『うなぎ』(第50回カンヌ国際映画祭パルムドール)、北野武監督の『HANA-BI』(第54回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞)が海外映画祭で続けざまに受賞し、日本映画への注目度が高まったことから、財団として積極的に展開しました。前年プレイベントを開催して好評だったので、本開催へ踏み切ったのです。
 
――具体的にどんなことをやったのですか?
森岡:○1日本映画の新作を扱う「ニッポン・シネマ・ナウ」をフォーラムに組み込んで上映(犬童一心監督『金髪の草原』、三池崇史監督『Dead or Alive』ほか)し、○2企画マーケットを開いて、アジア各国の作り手のプレゼンテーションの場を設け、投資や共同製作を促し、○3パネル・ディスカッションを開催しました。また、○4日本映画の海外進出に必要な助成(外国語字幕制作・プロデューサーの海外渡航費用)を行いました。フォーラムは第14回まで開かれました。
 
――「ニッポン・シネマ・マスターズ」という特集上映も開催されました。
森岡:東京フィルム・クリエーターズ・フォーラムの開催を機に、ベテラン監督の旧作をアピールしようと組まれた企画です。奇しくも当時、3人の名匠が新作に時代劇を撮ったばかりでした。大島渚監督の『御法度』、篠田正浩監督の『梟の城』、市川崑監督の『どら平太』が相前後して完成したのです。そこで、「世界に見せたいこの一本」を各監督に自薦していただき、新作と併せて上映しました。自薦作品は、それぞれ『青春残酷物語』(1960)、『暗殺』(1964)、『おとうと』(1960)に決定しました。
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©1999 TIFF
篠田正浩監督、大島渚監督が登壇した「ニッポン・シネマ・マスターズ」。

 
――森岡さんは東宝時代から市川監督と懇意にされていましたね?
森岡:南平台のご自宅に打ち合わせに伺うと、崑さんは「適当にタイトルを挙げてよ」と大照れでした。何本か挙げるうちに「これにしよう」と決めたのが、大映時代の『おとうと』です。
崑さんは最初、東宝では喜劇ばかり撮っていました。『プーサン』『青色革命』『天晴れ一番手柄 青春銭形平次』(全て1953)などの作品です。それが日活へ行ったら文芸物を撮るようになって、大映でさらに多くの文芸作品を手がけました。『おとうと』は幸田文の小説の映画化で、「銀残し」という特殊な現像技法を用いたカラー映画です。岸恵子と川口浩が姉弟役を見事に演じました。
 
――当時、大島監督は67歳、篠田監督は68歳、市川監督は84歳でした。一番若い大島さんは脳梗塞で倒れた後、3年間リハビリに励んで、遂に『御法度』を完成させます。今年(2013年)1月に80歳で亡くなりましたが、これが早すぎる遺作となりました。
森岡:シアターコクーンでの上映当日、大島監督は車椅子で楽屋までお見えになり、そのまま井坂聡監督とのトークショーに登壇されました。久々に監督の姿が見られるということで、場内は大変な熱気に包まれました。
 
――続けて、第13回映画祭(2000)のお話を伺いたいと思います。20世紀最後の年。正真正銘のミレニアムを迎えて、新世紀に向けて様々なカウントダウン・イベントが開催されました。世界的にはシドニー五輪が開催され、ロシアでは新たにプーチン大統領が就任しました。日本では有珠山噴火、三宅島の火山爆発などの災害に見舞われました。
森岡:この年、映画祭は心機一転、コンペの募集要項を改定しました。「35ミリ長編映画が出品作を含めて3本以内となる新進監督の作品」に、対象を限定したのです。これは東京ゴールド賞の規定を、そのまま募集要項に反映させたものです(第11回映画祭の項目参照⇒連載第5回)。
コンペを一本化した後の2年間、ベテラン監督と新人監督を対等に扱ってきましたが、TIFFが一年で最も後半に開かれる映画祭のため、中堅以上の監督の作品が集まりにくいというハンディがありました。ならば一層のこと、初心に返って若手監督のサポートに全力を尽くそうとなったのです。
 
――ベテランと新人を対等に扱うという大義名分でしたが?
森岡:実際にやってみたら、それほど甘くなかった。そこで再検討の末、思い切った決断を下したのです。募集要項の改定にともない賞制度も改め、東京ゴールド賞、東京シルバー賞を廃止して、グランプリに賞金1,000万円を授与することになりました。
 
――そうしてグランプリに選ばれた作品が、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の処女作『アモーレス・ペロス』(メキシコ)です。
森岡:コンペの審査委員長のフォルカー・シュレンドルフ監督は、作風からわかるようにアート系というより硬派な監督です。題材ごとにスタイルを変えるマイケル・ウィンターボトム監督もコンペの審査委員のひとりで、審査会は白熱しましたが、最終的にイニャリトゥの大胆で骨太な作風が評価されました。
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©2000 TIFF
福永正通東京都副知事(当時)より麒麟像を受けるイニャリトゥ監督

 
――イニャリトゥは優秀監督賞も同時に受賞しましたね。また審査員特別賞には、ホン・サンス〔洪尚秀〕監督の『秘花~スジョンの愛』(韓国・TIFFタイトル『オー!・スジョン』)が選ばれています。ホン・サンスは第3作での受賞でした。
森岡:2人が順調にキャリアを重ねて、世界の映画作家の仲間入りを果たしたのは嬉しいことですね。個人的には、最優秀脚本賞を獲った『僕たちのアナ・バナナ』は好きな作品でした。
これはエドワード・ノートンが監督した作品で、2人の男と1人の女性をめぐるラブ・コメディです。来日したノートンに会ったら日本語を話すので驚きました。映画界に入る前、日本に住んだことがあったそうですね。
受賞を逃した作品では、アン・フー〔胡安〕監督の『西洋鏡 映画の夜明け』(中国ほか・TIFFタイトル『西洋鏡』)、富樫森監督の『非・バランス』もいい作品でした。日本映画では庵野秀明監督の『式日(SHIKI-JITSU)』が優秀芸術貢献賞に輝きました。
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©2000 TIFF
左:『僕たちのアナ・バナナ』(スチュアート・ブルムバーグさん(左/脚本)とエドワード・ノートンさん(右/監督・主演))、右:『式日(SHIKI-JITSU)』で受賞した庵野秀明監督

 
――この第13回では、クエンティン・タランティーノ作品の製作で知られるローレンス・ベンダー(プロデューサー)も、コンペの審査委員に名を連ねていましたね。
森岡:以前から声をかけていたのですが実現して嬉しかったなあ(笑)。ベンダーは生粋のアメリカ人でハリウッド映画しか見たことがないから、ずっと映画=アメリカ映画と思っていたけれど、日本で世界の映画を観ることができて目から鱗が落ちたと語ってくれました。その後しばらく、クリスマスカードのやりとりが続いたりして、大変いい方でしたよ。
第11回でコンペ審査委員長を務め、第23回でエグゼクティブ・アドバイザーを務めたジェレミー・トーマス(『ラストエンペラー』『戦場のメリークリスマス』で知られる名プロデューサー。近年ではヴェンダース、クローネンバーグ、三池崇史らの作品に名を連ねている)もそうですが、プロデューサーは全体を見てくれるから頼もしい。ベンダーも同様でした。
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©2000 TIFF
左:控室の森岡さんとローレンス・ベンダーさん、右:撮影を楽しむ審査員として参加したマイケル・ウィンターボトム監督と笑顔で見守る森岡さん

 
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©2000 TIFF
こちらも審査員として参加したミシェル・リーさん(中央)と、山本洋さん(左/元 大映副社長)、森岡さん

 
――シネマプリズムは、オープニング上映がエドワード・ヤン〔楊德昌〕監督『ヤンヤン夏の想い出』(台湾・日本)、クロージング上映がチャン・イーモウ〔張芸謀〕監督『初恋のきた道』(中国)と豪華でした。
森岡:特別招待作品で『花様年華』(ウォン・カーウァイ〔王家衛〕監督)と『グリーン・デスティニー』(アン・リー〔李安〕監督)を上映したし、この年はアジア映画の活躍が目立ちましたね。
シネマプリズムでは『初恋のきた道』(中国)が私の好みでしたが、桜井さんの一推しは、ポン・ジュノ〔奉俊昊〕監督の『ほえる犬は噛まない』(韓国・TIFFタイトル『吠える犬は噛まない』)でした。肝心のアジア映画賞はセリック・アプリモフ監督の『3人兄弟』(カザフスタン)がさらい、2人の贔屓の作品は残念ながら受賞ならずで終わりました(苦笑)。その他に、ラテン・アメリカ映画とロシア・アニメーションの特集上映も開催して好評でした。
 
――「ニッポン・シネマ・クラシック」が開催されました。
森岡:映画産業団体連合会との共催でこの部門が復活しました。
この13回では、「ドキュメント20世紀」と題して、テレビの普及とともに姿を消したニュース映画、劇場用記録映画を特集上映しました。テレビのない時代は、みんな劇場でニュースを見ていました。本編を上映する前に30分位の番組があったのです。子供の頃は、そこで相撲を見るのが楽しみでした。幼い頃、エノケンの映画を見たときも、ニュースで相撲を見たに違いありません(笑)。
ニュース映画は全盛期には週代わりで作られましたが、テレビの出現とともに本数が減り、1970年代後半に終焉を迎えました。『東京オリンピック』(市川崑監督・1965)『燃える男長嶋茂雄 栄光の背番号3』(河辺和夫監督・1974)など、劇場用に製作された長編ドキュメンタリーを6本上映して20世紀最後の年を偲びました。
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©2000 TIFF
前年の「ニッポン・シネマ・マスターズ」には都合で参加できなかった市川崑監督が『東京オリンピック』上映時に登壇。

 
――第14回(2001)は新世紀になって初めての映画祭です。マリナーズに移籍したイチローがリーグ首位打者となり、『千と千尋の神隠し』が国内映画興行記録を塗り替えるなど、日本人の心に新風が吹いた年でもありました。政治の世界では小泉政権が発足し、世界的にはアメリカ同時多発テロが起きた1年です。映画祭もテロの犠牲者に哀悼の意を表して幕を開けました。
森岡:開幕のひと月近く前にかつてない惨事が起きて事務局も大変動揺しましたが、幸いなことに出品取りやめやコンペ審査委員の交代もなく、つつがなく映画祭を開催できてほっとしました。
例外的なことですがこの1年だけ、私は、作品部と経理部の責任者を兼任しました。担当者が辞めることになり、プロデューサーとして経理経験のある私に白羽の矢が立ったのです(苦笑)。
 
――以前、2つのコンペ部門の作品選定を担当されましたが、今回は作品選定と経理という畑違いの仕事になりますね。幾ら映画祭のためとはいえ、「二足の草鞋」を履くのは、さぞかし大変だったのではありませんか?
森岡:コンペの作品選定を掛けもちしたときは、同じ輪のなかを見詰めていれば良かったのですが、今回は2つの輪を交互に見なければならず苦労しました。さすがに、私ひとりでは持て余すことも増えてきたので、運営部の吉田啓昭さん(東映)に作品選定の仕事を手伝ってもらいました。
 
――この年の応募総数は576本です。
森岡:その全てを吉田さんと作品部のメンバーで観て、最終的に14本を選出しました。無頼の映画好きの吉田さんは寸暇を惜しんで協力してくれました。
 
――この年、グランプリに1,000万円の賞金を授与する規定を改めたそうですね。
森岡:グランプリに賞金を授け、その他の賞は賞状とトロフィーだけという表彰のあり方を修正しました。グランプリの賞金を500万円とし、審査員特別賞に200万円。最優秀監督賞、最優秀脚本賞、最優秀主演男優賞、最優秀主演女優賞、最優秀芸術貢献賞の各賞に、副賞50万円を贈呈することに決めたのです。
 
――結果を見ると、小学校を舞台にした政治風刺劇『スローガン』(ジェルジ・ジュヴァニ監督・アルバニア=フランス)がグランプリに、聖職者の魂の光芒を描いた『月の光の下に』(レザ・ミル=キャリミ監督・イラン)が審査員特別賞に輝いています。
森岡:最優秀監督賞もこの2作の監督がW受賞し、副賞の賞金を分け合いました。この年は女優賞も『スローガン』でしたね。受賞したルイザ・ジュヴァニさんは監督の奥さんです。『スローガン』は見事3冠に輝きますが、当時アルバニアと日本では銀行間の取り引きがなく、賞金の送金には骨を折りました。
 
――コンペの審査委員長は『屋根の上のバイオリン弾き』『夜の大捜査線』で知られるノーマン・ジュイソン監督でした。他の審査委員には、ダニエル・シュミット監督(『ヘカテ』『トスカの接吻』など)やジョイ・ウォン〔王祖賢〕さん(女優・『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』シリーズほか)が並んでいます。
森岡:ノーマン・ジュイソンの業績を顕彰するため、『ローラーボール』(1975)を上映しました。トーキョーが登場する近未来SF映画をいまではたくさん見かけますが、これはその走りになった作品です。
シュミットは日本の芸事に興味を持っていて、杉村春子や坂東玉三郎が登場する『書かれた顔』(1995)というドキュメンタリーを撮っています。2005年に惜しくも64歳で亡くなりました。ジョイ・ウォンさんは現在引退状態ですが、美人ですから復帰を望む声が後を絶ちません(笑)。皆さん仲良く和気あいあいと審査してくれました。
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©2000 TIFF
通訳さんを囲んでおどける14回審査員の皆さん(左から、ダニエル・シュミット監督、カトリーヌ・デュサールさん、ノーマン・ジュイソン審査委員長、(通訳さんの後ろに)ジョイ・ウォンさん、浜野保樹さん

 
――予算が厳しくて、シネマプリズムは本数を絞って開催したそうですね。
森岡:アジア映画は短編を含めて15本。特集上映では、押井守監督の作品を13本上映しました。
注目すべきは、スリランカのアソカ・ハンダガマ監督です。この年、初めて出品した『マイ・ムーン』でアジア映画賞スペシャル・メンションの栄誉を受けると、翌年(2002)の第15回映画祭で『この翼で飛べたら』が、早くもアジア映画賞に輝いたのです。ちなみにこれは第14回の東京フィルム・クリエーターズ・フォーラム企画マーケットでのプレゼンが評価され、出資先が決まった作品でした。
その後もハンダガマは、第18回(2005)のコンペに選出された『レター・オブ・ファイヤー』、第25回(2012)で再びアジア映画賞のスペシャル・メンションに輝いた『兵士、その後』など、質の高い作品を撮り続けています。内戦がもたらす混乱やジェンダーの問題を大胆に描いた作品は、映画祭で上映されるたびに話題を集めました。
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昨年(2012)3回目の参加を果たしたアソカ・ハンダガマ監督。

 
――この年のアジア映画賞は、風間志織監督の『火星のカノン』が受賞していますね。
森岡:アジア映画賞は、第12回の反省からコンペ選出作を除外し、シネマプリズム、ニッポン・シネマ・ナウで上映されたアジアの新作10本が対象でした。風間さんは『せかいのおわり』(2005)以来作品が途絶えていますが、ロッテルダム国際映画祭での受賞経験(1995年『冬の河童』でタイガーアワード賞)もあるし、ぜひまた新作を持って映画祭に戻って来てほしいですね。
 
――「ニッポン・シネマ・クラシック」では、なんとタカラジェンヌ特集が開催されました。
森岡:宝塚歌劇団出身の女優といえば、天海祐希さんと檀れいさんたちが有名ですが、このときは、映画の黄金時代に一世を風靡した先輩女優の特集を開催しました。八千草薫(上映作は稲垣浩監督『宮本武蔵』)、有馬稲子(同=五所平之助監督『わが愛』)、乙羽信子(同=溝口健二監督『お遊さま』)、宮城千賀子(同=木村恵吾監督『歌ふ狸御殿』)、月丘夢路(同=中平康監督『美徳のよろめき』)、新珠三千代(同=川島雄三監督『洲崎パラダイス 赤信号』)、淡島千景(同=豊田四郎監督『夫婦善哉』)の7名、7作品です。
八千草さんは『舟を編む』でご健在ぶりを示され、今秋公開の深川栄洋監督『くじけないで』では久方ぶりに主演を務めているそうですね。有馬さんは、昨年出版された自伝が話題になりました。月丘さんは最近お見かけしせんが、『八月の鯨』のリリアン・ギッシュのように、ぜひ元気なお姿を見せてほしいですね。
 
――この年の9月9日に亡くなった相米慎二監督の追悼上映も開催されました。
森岡:第1回東京国際映画祭(1985)で栄えある大賞に輝いたのが、相米監督の『台風クラブ』でした。これがご縁となり、相米さんは度々新作を映画祭に出品してくださいました。縁の深い故人とその業績を惜しんで、『魚影の群れ』(1983)を上映しました。
 
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2001年、イスタンブール映画祭にて審査員を務めた際の森岡さん

 
 

2013年3月下旬
 
取材 東京国際映画祭事務局宣伝広報制作チーム
インタビュー構成 赤塚成人

 
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第26回 東京国際映画祭(2013年度)