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2014.01.15
[インタビュー]
連載企画第9回:【映画祭の重鎮が語る、リアルな映画祭史!】-角川チェアマン時代に迎えた成人式(2005年-2007年)

東京国際映画祭事務局 作品チーム・アドバイザー 森岡道夫さんロングインタビュー
 
第9回 角川チェアマン時代に迎えた成人式(第18回2005年から第20回2007年TIFF)
 
 
チャン・イーモウ監督をお見送りした高倉健さん
 
————2005年は愛知県で愛・地球博が開催された年です。ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の逝去、ロンドンの爆破テロ事件、巨大ハリケーン「カトリーナ」の上陸でニューオリンズの町が水没するなど、世界は喧騒に包まれました。スペースシャトル「ディスカバリー」の打ち上げが成功し、宇宙飛行士の野口聡一さんが船外活動する様子が中継されて話題になりました。
森岡道夫(以下、森岡):日本人の乗組員で宇宙遊泳を行ったのは、野口聡一さんが初めてでしたね。野口さんは、2012年の映画『宇宙兄弟』に出演していました。宇宙に憧れる主人公たちは、幼い頃、野口さんの講演を聞いて魅了されます。回想シーンとはいえ、ご本人がブルースーツ姿で登場されたのにはびっくりしました(笑)。
 
————さて、映画祭のトップですが、これまでのゼネラルプロデューサー(GP)という肩書きが、この年からチェアマンと改称されます。
森岡:GPからチェアマンへの名称変更は、経産省の進言を受けてなされたものです。東京国際映画祭は、経産省及び東京都と共催して運営していますが、これだけ規模の大きな催しを実現するためには、関係団体に支援をいただき、寄付を募って運営していく必要があります。資金を集めて全体を統轄する立場にあることから、組織のトップを意味する「チェアマン」と名乗る方が適切という指示がありました。Jリーグでは最初からチェアマンでしたね。それと一緒です。
 
————チェアマンの呼称は依田巽氏にも引き継がれますが、本年(2013)から椎名保氏は新たにディレクター・ジェネラル(DG)という名称を採用されました。これにはどんな意図があるのでしょう?
森岡:今回、東京国際映画祭実行委員会の委員長に東宝の島谷(能成)社長、ユニジャパン理事長に松竹の迫本(淳一)社長が就任されました。新たな顔ぶれが揃った中で、ご本人のポジショニングを考慮されたと伺っています。各部門のディレクターを統括する立場でもあるため、DGに改称されたとのことでした。
 
————第18回の映画祭のプログラミングディレクターですが、任期を終えた吉田佳代さんに代わり、映画評論家の田中千世子さんが新たにコンペティションのPDに就任されました。
森岡:田中さんは映画評論家としてキネマ旬報などで健筆をふるい、第17回の「日本映画・ある視点」では審査委員長を務めて下さいました。近年はドキュメンタリー映画の監督も務めており、『能楽師 伝承』(2010)は第23回「日本映画・ある視点」の選出作にもなりました。
 
————コンペ部門には、2分割画面(デュアル・フレーム)で映画全編に駆使した『カンバセーションズ』(英・米/TIFFタイトル『女たちとの会話』)、田中PDが天からの贈り物と絶賛した『ドジョウも魚である』(中国)、アソカ・ハンダガマ監督の初コンペ選出作『レター・オブ・ファイヤー』(スリランカ・仏)など、魅力的な作品が並んでいました。
森岡:『レター・オブ・ファイヤー』と『ドジョウも魚である』は残念ながら受賞を逃しましたが、『カンバセーションズ』は審査員特別賞と最優秀主演女優賞(ヘレナ・ボナム・カーターさん)の2冠に輝きました。
この回は、根岸吉太郎監督の『雪に願うこと』が史上最多となる4冠を達成しました。グランプリ・最優秀監督賞・最優秀主演男優賞(佐藤浩市さん)のほか、一般投票で選出される観客賞にも輝いたのです。根岸監督はこの後、『ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ』(2005)で第33回モントリオール世界映画祭の最優秀監督賞を受賞しています。
連載企画第9回

©2005 TIFF
TIFF史上最多受賞の『雪に願うこと』根岸吉太郎監督と主演の佐藤浩市さん

 
————チャン・イーモウ〔張芸謀〕監督が国際審査委員長となり、プロデューサーのバリー・M・オズボーン(『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ)とゲイリー・フォスター(『めぐり逢えたら』『路上のソリスト』など)、ドイツで活躍したアメリカ人批評家ロナルド・ハロウェイ、桃井かおり(女優)、鈴木光司(作家)がコンペの審査委員に名を連ねていました。
森岡:記者会見で桃井さんは、「アタシが暴れたから日本映画が受賞したんじゃないのよ」と話して、笑いを誘っていました。皆さんが素直に作品を選んだ結果ですが、根岸監督の4冠は画期的なことでした。
連載企画第9回

©2005 TIFF
2005年の審査委員と受賞者の皆さん

 
—————「日本映画・ある視点」は前回新設された際、作品部のメンバーの合議で選出作を決定しました。今回は、これまで運営部・作品部と様々なポジションで活躍してきた矢田部吉彦さんがPDデビューを飾ります。
森岡:矢田部さんは佐藤真監督の『阿賀の記憶』(2004)に製作として参加しており、ドキュメンタリーを含む日本映画の現状に精通していたので、適任でした。
 
————深川栄洋監督の劇場長編デビュー作『狼少女』、女優で、最近は小説家としても活躍する唯野未歩子さんの初監督作『三年身籠る』、マキノ雅彦監督の『寝ずの番』、保坂延彦監督の『そうかもしれない』など、バラエティに富んだ作品が集まりました。
森岡:マキノ雅彦監督は俳優の津川雅彦さんですね。日本を代表する映画監督マキノ雅弘の甥っ子なので、監督作には由緒正しき名前を用いておられます。
柳町光男監督の10年ぶりとなる作品、『カミュなんて知らない』が作品賞を受賞しました。これは学生に映画を教えていた時の経験をもとにした、映画製作に関する疑似ドラマです。柳町監督は寡作で知られる映画作家ですが、秀作ばかり撮っています。翌第19回大会では、コンペの国際審査委員を努めて下さいました。
『スキージャンプ・ペア Road to TORINO 2006』は、スキージャンプのペアという架空の競技をCGで楽しく見せた作品です。これが特別賞に決まりました。(日本映画・ある視点部門の)審査委員のひとり、稲垣都々世さん(映画評論家)が「言っていいかな。怒られないかな?」と小声でタイトルを挙げると、他の審査委員の方々も「やっぱり」という感じで、すんなり受賞は決まりました。
 
————「アジアの風」はこの年は36本を上映しました。暉峻PDは「中華圏、韓国の映画がすっかりメインストリームとして定着したいま、東南アジアから新しい風が吹いている」というコメントを残しています。
森岡:この年は〈新作パノラマ〉の他に、〈台湾:電影ルネッサンス〉〈韓流の源流〉という2本の特集を行いました。ツァイ・ミンリャン監督の『西瓜』(台湾・TIFFタイトル『浮気雲』)など復活の兆しを見せる台湾映画11本と、オ・ソックン、クァク・ジョヨン、パク・チャヌクなど韓流の先がけとなった監督たちの旧作を上映しました。
最優秀アジア映画賞は暉峻PDのコメントが象徴するように、ヤスミン・アフマド監督の『細い目』(マレーシア)に決まります。マレー人少女と中華系の少年の恋愛を描いた物語で、多民族国家マレーシアのいまを優しいまなざしで見つめた作品です。
 
————『細い目』は、人種と宗教が混交するマレーシアのあるべき姿を描いた作品ですね。日本は多民族国家ではありませんが、この頃になると映画祭で上映される作品には、国際的な合作映画が非常に多くなりました。映画の世界では、民族間の交流が深まり、ボーダレスな状況が自明になってきました。
森岡:そうですね。特別招待作品のPDを務めた高瀬一郎さん(松竹)は、「アジア諸国間のコラボレーション」が大変目立つ年だったと感慨を述べておられます。その言葉のとおり、オープニング作の『単騎、千里を走る。』(中・日)は高倉健主演・チャン・イーモウ監督の作品であり、クロージング作の『力道山』(日・韓)は、主演のソル・ギョング〔薛景求〕の他は、ほぼすべて日本人キャストで固めた作品でした。
国際交流が盛んになり、以前には考えられない映画作りが可能になってきた。ヤスミンの映画はそうした状況の中で観ると、とても身近に感じられるものでした。
 
————滅多に公の場に姿を現さない高倉健ですが、『単騎、千里を走る。』のワールド・プレミアがあり、人生最初のレッド・カーペットを監督と共に歩まれました。
森岡:セレモニーにもスペシャル・ゲストとして駆けつけて下さり、「こんな働き者の息子がいたらなあ」とチャン・イーモウ監督を称えていました。監督はコンペの審査委員長を務めていたから、映画祭でも文字どおり働き詰めで大活躍されていました(笑)。
連載企画第9回

©2005 TIFF
常にお互いを気遣っていたというチャン・イーモウ監督と高倉健さん

 
————高倉さんほど尊敬を集める俳優も珍しいですね。チャン・イーモウ監督は撮影中、空き時間になっても健さんが椅子に座らないので、驚嘆していたそうです。
森岡:私は『海峡』(1982)の製作時に、東宝の人間として健さんに会いました。その頃からの知り合いですが、健さんほど礼儀正しい人間を知りません。昔も今も変わらないと思います。
作品部の人間は、会期終了後も海外ゲストと審査委員を空港へ送り出すまでは気が抜けません。私は毎年審査委員を担当しており、今回、最後にお見送りするのがチャン・イーモウ監督でした。
閉幕した翌日、宿泊先のホテルに伺い、監督に改めて感謝の気持ちを伝えました。ロータリーにハイヤーを寄せて荷物をトランクに詰め込み、いよいよ出発というその時です。遠くの人影が寄ってきて、気がついた監督も笑顔で応えました。お見送りをしようと健さんがずっと待っていたのです。駐車場の真ん中で抱き合うと、健さんはグリーンのマフラーを監督の首に巻いて、プレゼントされました。
 
————まるで映画の一場面のようですね。
森岡:居合わせた私たちが感動するほどいい光景でした。
 
————「東京グランプリ」から「東京 サクラ グランプリ」に賞の名称が変更されましたが、これにはどんな理由があったのでしょう?
森岡:「ベネチアは獅子、ベルリンは熊と分かりやすい目印がある。東京にも何か設けよう」という角川チェアマンの発案を受けて、スタッフで検討した結果、トーキョーはサクラにしようと決まりました。
実は以前、ヤングシネマの賞名をさくらゴールドとしていました(第2〜3回)。ところが第4回大会(1991)のとき、協賛の富士フイルムから、「サクラカラーというライバル会社の商品があるので一考してほしい」と要請がありました。それで東京ゴールド賞に改めたのです(第4回〜10回。以降、ヤングシネマ部門は廃止)。
サクラカラーは1987年に商名が変更され、その後、製造元がフィルム事業から撤退したので、晴れてサクラを冠することができました(笑)。
 
 
三大監督(市川崑、鈴木清順、今村昌平)の特集上映が組まれた第19回
 
————2006年はトリノで冬季五輪が開催され、フィギュアスケートの荒川静香さんが金メダルを獲得しました。また第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本が優勝し、松坂大輔投手がMVPに輝くなど、スポーツに明るい話題が集まりました。マネー・ゲームで時代の寵児となったホリエモンこと堀江貴文が逮捕され、ライブドアの上場廃止が決まるなど、経済と生活の乖離が進んだ1年でした。
森岡:荒川さんは、演技構成点で加点のないイナバウアーを披露して、世界を魅了しました。松坂はいま怪我で苦しんでいますが、もう一花咲かせてしてほしいですね。
 
————余談になりますが、『風立ちぬ』の主人公、堀越二郎が作った日本初の旅客機YS-11が国内就航を終えたのもこの年です。
森岡:飛行機の寿命はせいぜい持って30年と言われますが、1965年から40年以上も日本の空を飛んだのだから大したものです。
『風立ちぬ』では劇中、往年の名作『會議は踊る』の主題歌「ただ一度だけ」が歌われています。恋のときめきを歌って日本でも一世を風靡した名歌です。歌った後に堀越二郎が菜穂子にプロポーズする。ドイツ語で歌われますが、歌詞が分かっていれば2倍楽しめる名場面でした(笑)。
 
————この第19回映画祭では主要4部門の上映に加え、市川崑、鈴木清順、今村昌平といった名匠の特集上映が開催されました。
森岡:まず5月に79歳で逝去された今村昌平監督を惜しんで、追悼特集を開きました。カンヌで最高賞のパルム・ドールを受賞した日本人は今村監督ただひとり。しかも、『楢山節考』(1983)、『うなぎ』(1997)で2度受賞されています。
今村さんは松竹から日活へ転身して監督になり、今村プロを起こして作品を撮り続けました。さらに日本映画学校(旧横浜放送映画専門学院)を設立して、後進の指導にも力を注ぎました。第1回映画祭(1991)では、コンペティションの国際審査委員を務めて下さいました。
特集では全劇場作20本と、映画学校の生徒と一緒に作った短編『あほう』(1975)、『凍りついた炎』(1980)など、隠れた傑作6本を上映しました。
 
————鈴木清順監督はこの年82歳。監督デビュー50周年を迎えました。
森岡:デビュー50周年の記念に川喜多賞を受賞されたので、お祝いの上映会を開きました。48作を上映し、『殺しの烙印』(1967)に主演した真里アンヌさんとのトークショーは大盛況を博しました。
清順さんは今年で90歳。卒寿をお迎えになりましたね。チャン・ツィイー〔章子怡〕主演の『オペレッタ狸御殿』(2005)以来、新作がないのは残念です。第6回(1993)のとき、ヴィム・ヴェンダース(監督)と共に、ヤングシネマの国際審査委員を務めてくれました。
 
————市川崑監督は新作や旧作を度々上映してきましたが、特集上映は初めてでしたね。
森岡:崑さんは卒寿をお迎えになった翌年に当たります。新作『犬神家の一族』(1976年版の自身によるリメイク)がクロージング作に選ばれ、ミロシュ・フォアマン監督と共に黒澤明賞を受賞されたので、これを祝して傑作選を開催しました。
『愛人』(1953)は、越路吹雪、岡田茉莉子、有馬稲子がチャーミングな魅力を発揮した作品です。有馬さんがトークショーに駆けつけて、思い出を聞かせてくれました。テニス・シーンの撮影を変な男性が覗いていて「嫌だなあ」と思っていたら、傍に住んでいた横溝正史だったと愉快に話されていましたね(笑)。
崑さんは2008年に92歳で大往生されたので、この『犬神家の一族』が遺作となってしまいました。
連載企画第9回

©2006 TIFF
角川歴彦チェアマン(当時)と談笑する市川 崑監督

 
————市川監督とミロシュ・フォアマン監督は旧知の仲だそうですね?
森岡:ミュンヘン・オリンピックのドキュメンタリー映画、『時よとまれ、君は美しい/ミュンヘンの17日』(米・西独/1973)でご一緒に仕事をされていたのです。あの作品では崑さんが100メートル走、フォアマンさんは十種競技の担当でした。オーチャードホールの楽屋で、「アナタは十種だろ。オレは短距離だ」と会話を弾ませていました(笑)。約四半世紀ぶりの再会だったそうです。
 
————コンペは田中千世子さんがPDとなり2年目を迎えます。チャン・イーモウ監督の撮影に携わり、後に『レッドクリフ』シリーズの撮影監督となるリュイ・ユエ〔呂楽〕の初監督作『十三の桐』(中国)、若干19歳のムラリ・K・タルリの監督デビュー作『明日、君がいない』(オーストラリア・TIFFタイトル『2:37』)、ホン・サンス監督の『浜辺の女』(韓国)など注目作が並んでいました。
森岡:ホン・サンス監督は、第13回(2000)で『秘花〜スジョンの愛』が審査員特別賞を受賞しています。この時は『十三の桐』が審査員特別賞を受賞し、ホン監督とタルリ監督は無冠に終わりました。日本から阪本順治監督の『魂萌え』と山下敦弘監督の『松ヶ根乱射事件』が選出されましたが受賞を逃しました。
『リトル・ミス・サンシャイン』が大好評で、最優秀監督賞(ジョナサン・デイトン/ヴァレリー・ファレス)、最優秀主演女優賞(アビゲイル・ブレスリン)、観客賞の3冠に輝きました。
 
————東京 サクラ グランプリは並み居る作品を抑えて、ミシェル・アザナヴィシウス監督の快作『OSS 117 私を愛したカフェオーレ』(仏・TIFFタイトル『OSS117 カイロ スパイの巣窟』)が受賞します。
森岡:最初、『男と女』(1966)で知られるクロード・ルルーシュ監督が審査委員長に内定しますが、新作映画の撮影が延びてしまい(ファニー・アルダン主演の『Roman de Gare(駅のロマン)』・日本未公開)、ひと月前にジャン=ピエール・ジュネ監督に代わりました。ジュネ監督は『デリカテッセン』(第4回・1991)で東京ゴールド賞を受賞して以来の参加でした。
ジュネ監督もアザナヴィシウス監督もフランス人であることから、仲間内に賞を与えたという非難の声も聞かれましたが、「誰でも楽しめる作品であり、審査委員全員一致の選出」(ジュネ国際審査委員長談)でした。田中PDはフムフムと嬉しそうに納得していましたね(笑)。
この監督・主演コンビの最新作『アーティスト』(2011)が第84回アカデミー賞で作品賞に輝くのですから、田中PDの先見の明には感服しました。
連載企画第9回

©2006 TIFF
審査委員長を務めたジャン=ピエール・ジュネ監督からトロフィーを受取るミシェル・アザナヴィシウス監督

 
————「アジアの風」の暉峻さんはPDとなって5年目を迎えました。
森岡:本年は〈新作パノラマ〉〈特集上映〉を含め37本を上映しました。〈新作パノラマ〉では、アン・ホイ〔許鞍華〕監督の『おばさんのポストモダン生活』(中国)、パン・ホーチョン監督の『イザベラ』(香港)、カラン・ジョハールの『さよならは言わないで』(インド)などの人気監督の作品を上映しました。
〈特集上映〉では、『細い目』が前年の最優秀アジア映画賞に輝いた余波を受け、「マレーシア映画新潮」を開催して大反響を巻き起こしました。旧作を含むヤスミン・アフマド監督の作品4本、監督と親交の深いホー・ユーハン〔何宇恆〕監督の『Rain Dogs』など5本、併せて9本を上映しました。
 
————アジア映画賞は、ウォン・カーウァイ監督やジョニー・トー監督が恩師と仰ぐ、パトリック・タム〔譚家明〕監督の『父子』(香港)に贈られました。
森岡:『父子』は17年ぶりに撮られた作品で、上映時間160分の大作です。タム監督は、長年マレーシアで映画を教えていた経験を活かして、マレーシアの華人家庭のドラマを作りました。妻に逃げられ、借金取りに追われて困窮する父と子を見つめた作品です。この作品も大いに話題を呼んで、今回の「アジアの風」は俄然マレーシアに注目が集まりました。
 
————中国、香港、台湾、インドと各国の映画ファンが次第に増えるなか、マレーシア映画を支持する層が新たに生まれたのですね。
森岡:ええ。映画ファンがもっと知りたくなるような魅惑的な国として、マレーシアが現れたのです。そんなこともあり、この年の観客数はコンペティション20,074人に対し「アジアの風」は24,203人となり、大きく上回ることになりました。
 
————『父子』は最優秀アジア映画賞を受賞したほか、コンペ選出作を対象とする最優秀芸術貢献賞も受賞しています。これはどういった経緯からでしょう?
森岡:角川チェアマンの時代は、最優秀アジア映画賞を受賞した作品はコンペに組み入れるという、ボーナス企画的なルールがありました。コンペの審査委員は、「アジアの風」の審査委員が選んだ作品を観て最終審査をしたのです。
最優秀アジア映画賞の受賞作で、コンペ入賞を果たしたのはこの一作だけです。いかに多くの人々の心を掴んだ作品なのか、ご理解いただけるでしょう。
 
—————「日本映画・ある視点」は、大森一樹監督の『悲しき天使』、青山真治監督の『こおろぎ』、奥田瑛二監督の『長い散歩』など話題作が集まりました。
森岡:『悲しき天使』は松本清張の小説、「張込み」のアダプテーションですね。1958年に野村芳太郎監督も映画化しています。『こおろぎ』は映画祭での上映後に製作元がトラブルに見舞われ、未だに一般公開されていない不幸な作品です。主演の鈴木京香さんの演技が絶賛され代表作とも言われておりますので、ぜひ一般公開して頂きたいですね。
『長い散歩』は、TIFFの少し前に閉幕した第30回モントリオール世界映画祭でグランプリ・国際批評家連盟賞・エキュメニック賞の3冠に輝きますが、東京では受賞を逃しました。若い御法川修監督(『世界はときどき美しい』)、坪川拓史監督(『美式天然(うつくしきてんねん)』)が初めて参加してくれたのも、この年でした。
 
————作品賞はフィクションを押しのけ、『ミリキタニの猫』が受賞しました。
森岡:これはニューヨークの日系人ホームレス画家、ジミー・ツトム・ミリキタニを追った感動的なドキュメンタリーです。プロデュースしたマサ・ヨシカワは、かつてこの事務局で働いていた吉川昌宏さんです。作品のおかげでミリキタニさんは脚光を浴びますが、2012年に92歳でお亡くなりになりました。
 
————『M』に主演した高良健吾さんが特別賞を受賞されました。
森岡:高良さんはいまや売れっ子ですね。「お前の生きてきた18年が必要で主役に選んだ。だから余計なことをするな」と、この作品を撮った廣木隆一監督にしごかれて、演技に開眼したと言っていました。これからの日本映画を担う男優として大いに期待しています。
連載企画第9回

©2006 TIFF
受賞スピーチを行う高良健吾さん

 
————特別招待作品は、洗秀樹さん(東宝)がPDを務めました。
森岡:この部門は日本の配給会社との交渉が主なやりとりになるため、出向で来ていた洗さんにお願いすることになりました。
オープニング作『父親たちの星条旗』の上映に、『硫黄島からの手紙』に出演した伊原剛志さん、加瀬亮さん、二宮和也さんが集まり、セレモニーは盛り上りました。
レッド・カーペットでは、『王の男』に主演したイ・ジュンギさんがタキシードに蝶ネクタイ姿で登場すると、韓流ファンから大喝采を浴びていました。石坂浩二さんは金田一耕助の格好で登場し、「金田一に恩返しできた」と殊勝なことを仰ってましたね(笑)。
連載企画第9回

©2006 TIFF
石坂浩二さん

 
 
成人式を迎えた映画祭。新設部門や記念上映などが目白押し
 
————2007年は東京ミッドタウンがオープンした年です。この年は、けがで休場を決めた朝青龍がサッカーをやっているのが発覚したり、相撲部屋で力士がいじめにあって死亡するなど、国技の在り方がクローズアップされた年でした。映画界では、河瀬直美監督の『殯の森』がカンヌでグランプリを受賞しました。
森岡:今年(2013)は是枝裕和監督が『そして父になる』で、カンヌの審査員特別賞を受賞しました。その審査員のひとりを河瀬監督が務めたことも、話題になりましたね。
 
————東京国際映画祭は第20回。晴れて成人式ということで、祝賀ムードに包まれました。開幕のレッド・カーペットでは、長澤まさみさんがバレリーナに囲まれて笑顔を振りまいてくれました。
森岡:まさみちゃんもハタチになったということでご来場いただき、開幕宣言をしていただきました(笑)。
連載企画第9回

©2007 TIFF

 
————皇室チャリティ上映も開催されましたね。
森岡:特別招待作品『オリオン座からの招待状』の上映では、皇后陛下にご臨席を賜り、映画祭史上初となる皇室チャリティ上映を開催しました。皇后陛下は、第2回映画祭のオープニング・セレモニーに陛下共々ご臨席を賜りましたが、当時はまだ皇太子と妃殿下でいらっしゃいました。皇后陛下となって初めてのご臨席で「成人式」を祝して下さり誠に光栄でした。
連載企画第9回

©2007 TIFF

 
————第16回(2003)から映画祭のトップを務め、改革に取り組んだ角川歴彦氏は、今回が最後の年になりました。
森岡:角川チェアマンは多忙な中、大変力を注いで下さいました。まず新部門「WORLD CINEMA」を設立したのがこの年です。「日本映画・ある視点」(第17回新設)、「WORLD CINEMA」は、共に角川チェアマンの時代に設けられた部門として映画祭の歴史に名前を刻んでいます。
また現在の成員————コンペの矢田部吉彦PD、「アジアの風」の石坂健治PD、「特別招待作品」の都島信成PDが揃って着任されたのもこの年です。たびたび映画祭を手伝ってくれた黒井和男さん(元キネマ旬報社社長・映画プロデューサー)を、今回ゼネラルプログラミングディレクターに招聘しました。
 
————ひとつずつ伺いたいと思います。まず「WORLD CINEMA」の設立は長い間の懸案事項だったそうですね。
森岡:はい。「アジアの風」設立以来、アジア映画を重視するあまり、「シネマプリズム」でフォローしてきた欧米の優れた作品を上映する機会を逃してきました。一時期、ミニ・シアター・ブームでアート系映画の門戸は広がりますが、小さな配給会社が乱立した結果、買い付け価格が高騰して、逆に封切られる作品が減ってしまいました。国際映連の規約で、コンペ部門では、他の映画祭のメイン・コンペ選出作は上映できない。このままでは芸術性の高い映画の門戸は閉ざされてしまう。映画祭として、何とか対策を講じたいと考えていました。
 
————初めてとなる「WORLD CINEMA」では、どんな作品が上映されたのですか?
森岡:ナンニ・モレッティの助監督だったダニエレ・ルケッティ監督の『マイ・ブラザー』(イタリア)、カンヌの「ある視点」部門でグランプリに輝いた『カリフォルニア・ドリーミン(endless)』(ルーマニア)など8本を上映しました。
『マイ・ブラザー』はイタリアのアカデミー賞と言われるダヴィド・ディ・ドナテッロ賞の主要5部門を制したほろ苦い青春劇です。
『カリフォルニア・ドリーミン(endless)』は、コソボ紛争を背景に、ある理由で村に足止めを食らった米軍と村民の交流を描いた骨太の物語です。クリスティアン・ネメスク監督は、自動車事故で27歳の若さで亡くなり、これが長編デビュー作であり遺作となりました。
2作とも以前ならミニ・シアターで一般公開されるに違いない傑作でした。
 
————矢田部さんのコンペ部門PD昇格は、どんな経緯で決まったのでしょう?
森岡:田中千世子さんの任期が切れて後任人事を考えていた時に、ずっと外部に依頼するのでは映画祭と海外映画人との人脈が深まらない。その都度、一から出直すのではなく、人脈の蓄積の上で作品を公募すれば、厚みも出るし、いい作品も集まると考えました。そうした時に、チャレンジを含めて名乗りを上げた矢田部さんに任そうと決めたのです。
 
————「日本映画・ある視点」のPDとしての実績も評価されたのですよね?
森岡:もちろんです。黒井さんが関わったのは、角川さんが多忙でチェアマン決済をする余裕がなかったため、作品に関しては、黒井さんに決定権を委ねようとなったのです。黒井さんも大変張り切ってやってくれました。
 
————コンペでは、中井貴一主演の『鳳凰 わが愛』(日・中)をオープニング・ナイトに上映して話題になりました。麻生久美子主演の『ハーフェズ ペルシャの詩』(ペルシャ・日)も選出されていましたね。
森岡:この頃になると、国際キャストによる映画作りは例外的なことでななくなりましたね。昔は海外との合作は大作じゃないと成立しませんでしたが、いまは低予算でも、アイデアと志があればいい作品が生まれる時代になりました。
 
————グランプリに輝いたのは、『迷子の警察音楽隊』(イスラエル・フランス)でした。
森岡:エラン・コリリン監督と主演のサッソン・ガーベイは、クロージング・セレモニーの終了間際まで名前が呼ばれず、受賞を諦めていたそうです(苦笑)。
『デンジャラス・パーキング』(英)のピーター・ハウイット監督は、ワールド・プレミア上映で見事最優秀監督賞を獲得しますが、大変な喜びようで10分近くスピーチされていました。主演も兼ねた作品で、喜びもひとしおだったのでしょう(笑)。
連載企画第9回

©2007 TIFF
グランプリに贈られる麒麟像を眺めるサッソン・ガーベイさんとエラン・コリリン監督(左上)と長い(?)スピーチ中のピーター・ハウイット監督(右下)

 
————「アジアの風」の石坂健治PDはどのように決まったのでしょう。
森岡:石坂さんは国際交流基金のフィルム・コーディネーターとして、アジア映画の上映に尽力してきた方です。その実績を買われ、第18回(2005)では同部門の審査委員も務めています。暉峻PDが辞めることになり、これまで手薄だった西アジアを含めてフォローできる方を探していました。またしても佐藤忠男さんに相談したところ、石坂さんか市山尚三さんしかいないとなりました。市山さんには東京フィルメックスがあるし、以前にも頼んでいるので石坂さんにお願いすることになりました。
 
————上映では25本の新作と旧作5本が集まりました。
森岡:この年は、〈アジア中東パノラマ〉〈ディスカバー亜州電影〉〈エドワード・ヤン監督追悼特集〉を行いました。エドワード・ヤン監督はこの6月に59歳の若さで亡くなりました。映画祭ではこれまで『牯嶺街少年殺人事件』『カップルズ』『ヤンヤン 夏の想い出』など、監督の主要作をすべて上映してきました。『牯嶺街少年殺人事件』は第4回(1991)の審査員特別賞に輝いています。この時は、1980年代の作品を中心に5本を上映しました。
 
————〈新作パノラマ〉から〈アジア中東パノラマ〉と地域名を明記したのは、どんな理由からですか?
森岡:「あまり上映して来なかった中東もやりますよ」というアピールです(笑)。キム・ギドク〔金基徳〕監督の『Breath』(韓国)、ジョニー・トーが共同監督を務めた『マッド探偵』、パン・ホーチョン監督の『出エジプト記』(共に香港)などの話題作のほか、エジプト、レバノン、イランを始めとする新進気鋭の作品を集めて上映しました。
トルコのレハ・エルデム監督は、少年少女の繊細な感情を描いた『時間と風』が上映されました。第13回(2000)でコメディ・タッチの『ラン・フォー・マネー』が上映され、第23回(2010)でも『コスモス』を含む全作上映が開催されています。作品ごとに作風を変える大胆さを持ち合わせているのが魅力で、さらなる飛躍を期待されている監督のひとりです。
 
————「日本映画・ある視点」はチャレンジングな作品が並んでいましたね。
森岡:黒井さんがまとめ役となり、採点方式で作品を選びました。若松孝二監督の力作『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』、第60回ロカルノ国際映画祭で金豹賞を受賞した小林政広監督の『愛の予感』といった注目作のほか、坪川拓史さん(『ARIA』)、深川栄洋さん(『真木栗ノ穴』)など1970年代生まれの若い監督が新作を持って再び参加してくれたのは嬉しかったですね。
 
————硬派で知られる若松孝二監督ですが、受賞を大変喜んでいましたね。
森岡:黒井さんは、「作り手の強い思いや怒りをぶつけた作品よりも、小さくまとまった作品が多く、選ぶのに苦労した」と仰っていました。そんな中で、この作品は審査委員の圧倒的な評価を獲得しました。
マリオン・クロムファスさん(フランクフルトで開かれる日本映画の祭典「ニッポン・コネクション」のディレクター)も審査委員のひとりでしたが、「これは日本だけでなく、世界にとっても大変重要な映画だ」と誉めて下さいました。
この受賞がきっかけとなって海外の映画祭に招聘され、第58回ベルリン国際映画祭では最優秀アジア映画賞と国際芸術映画評論連盟賞の2冠に輝きました。
連載企画第9回

©2007 TIFF
受賞スピーチを行う若松孝二監督

 
————第20回記念特別企画として「映画が見た東京」という特集が組まれました。
森岡:新作・旧作・アニメ・ドキュメンタリーを問わず、東京を舞台にした作品50本を選んで上映しました。戦後の焼け野原から高度経済成長を経て、最先端のビルが建ち並ぶ今の風景まで、東京の変貌が刻印された作品を集めました。
斉藤寅次郎監督のコメディ『東京五人男』(1945)は、終戦から3か月後の東京で撮影された大変貴重な作品です。焼け野原でふんだんにロケしていますから、今の若い人が見たらびっくりするんじゃないでしょうか。
石原慎太郎が主演して新聞記者を演じた『危険な英雄』(1957・鈴木英夫監督)も、資料的価値の高い作品です。子どもの誘拐事件が起き、身代金の受け渡しが渋谷で行われる設定で、当時の渋谷駅周辺がふんだんに登場します。
 
————まだ都電が走っている頃ですね。ちょうど1957年に、西口の東横百貨店前から東口の東急文化会館前に乗り場が移転しています。
森岡:撮影されたのは恐らく1956年ですから、乗り場を移転する前の光景です。東急文化会館は以前お話ししたように、いま渋谷ヒカリエになっています。東横百貨店はいまの東急百貨店東横店。古くからある駅ビルですね。
当時は、東口もいまで言う青山通りがまだ舗装されておらず、雨が降るとグチャグチャになって大変でした。
在りし日の東横百貨店や東急文化会館、渋谷東宝などの建物、周囲に広がる平屋の商店街、玉電が路面を走る光景などが登場し、若者の街というイメージしかない若い皆さんはびっくりすると思います。山手線は、昭和30年代まで主流だった焦げ茶色の車両が走っていました。
 
————東京を舞台にした映画はたくさんありますが、その時々の風景を描いた映画となると、選ぶのは大変だったのではありませんか?
森岡:作品部の若き担い手である矢田部PD、田中文人さん(第19回〜)と私の3人で選んだのですが、大変やりがいのある仕事でした。リスト上では何百本もありましたが、プリントのない作品もあって絞っていきました。「東京」と絡めた企画で主演映画が上映されるので、石原慎太郎都知事(2012退任)が企画発表の会見に来てくれて、共演の司葉子さんと昔話に花を咲かせていました。
この催しは来日した映画関係者にも好評で、字幕を付けたらぜひ海外で上映したいという依頼もありましたが、予算不足のため果たせませんでした。機会があれば、新作を含めてまたやってみたいと思います。
 
————この年は、コフェスタ(JAPAN国際ジャパンコンテンツフェスティバル)が初めて開催された年でもあります。
森岡:経産省の主導で、これまで別々に開催されていたコンテンツ・フェスティバルを一堂に集めて開催しました。映画祭もコフェスタの一翼を担っての開催という位置づけで、角川さんが押し進めた官民一体の一大事業が名実共に実を結んだ年となりました。
 
連載企画第9回

第20回の審査委員を務めたセルジュ・ロジックさん(モントリオール世界映画祭創設者)と森岡さんの2001年頃のツーショット

 

取材 東京国際映画祭事務局宣伝広報制作チーム
インタビュー構成 赤塚成人

 
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